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子育ての悩み。「子どもがかわいい」気持ちの行き場所がない!?

初めての育児を経験させてくれた上の子。
不思議な子だったし今も不思議で、かつ、困りごとも山ほどあるのに、恥ずかしいことにいまだにめちゃめちゃかわいいのである。

下の子ももちろんかわいさ満点なのでかわいさが自分の中にパンパンに満ちて容量オーバー気味である。

初めての育児は「かわいい!!」そう叫びたくなる衝動を抑えるのも大変だった。そんな時期を経て、本人が受け取れるだけ与えて残りは自分の中に貯金しよう、なんて思っていた時期があったようだ。

過剰に与えても、本人から見たらありがた迷惑だったりデメリットになるかな、なんて思ったりしていたのだろうか?

うちの子、かわいいんです!
隠していても1人お風呂に入る瞬間、1人トイレに入る瞬間、子どもたちの名前をついつい口に出してかわいいなぁ、なんてぶつぶつボソボソ言ってしまう私…誰にも見られたくないし聞かれたくない。痛い私…。

上の子の8歳の誕生日の晩、私は気づいた。
子どもがまだまだかわいくて、でもその気持ちはますます行き場がなくなっていくんじゃないかと。

下の子が産まれて体が大きくなってきて、家族4人で寝具が狭くて、次第に夫と上の子、私と下の子と2拠点に分かれて寝るようになった。たまに、上の子と下の子と私の3人で寝ることもあったけどそれもなくなってきた。

上の子の寝相が悪く、夫が押し出されたのかリビングのソファに移動してぐーぐー寝ていた。ふと思い立ち、空いてる上の子の隣に寝転んでひさびさに寝顔を眺めたり、おでこをなでなでしたり、こっそりほっぺにチューしていたときである。

寝顔がおっきくなったな、体も大きくなったな、頭の形が悪いのは相変わらずだな、寝顔はやっぱりかわいいな、ああ、かわいいな。

かわいいな!!!!

だんだんと、「かわいかったな」という追憶とともに、現在進行形の「かわいいな」が増長してきて止められなくなり、暴走を始めた。

かわいい!!今でもぜんぜん、かわいいじゃん!

そう思うとなんだか急に泣けてけて涙してしまった。

(悩むことも頭に来ることもあるけどかわいさと相殺されないと初めて知る)

8歳と言えば、自分の8歳の誕生日のことはまだ覚えている。そのあたりから反抗期などを経て私は「私」になり今の私に至るまで一本道で繋がっている。

つまり、今目の前にいる上の子は、私の子どもというより、上の子個人のオリジナルなのだ。8歳の私は「ママ大好き」みたいな感じの子じゃなかったし、仮に8歳の息子がそんなんだったら居た堪れない。頭ではわかっている。

これまでも子どもが私から分離された一個人とは自覚はしていたけど、8歳という年齢と自分のルーツを照らし合わせるとこれまでになく強烈に分離された気分だ。

それなのに、なんということでしょう!
目の前にいる上の子を0歳の時からずっと眺めて「かわいいな」と思う気持ちは消えないどころかまだまだ強く私の心から湧き上がってくるとは。

この引き裂かれる気持ちと向き合う勇気がない…寝顔を見すぎるのはやめよう、と一旦考えた。

子どもがかわいい!!!と思う気持ちが込み上げるのは私の勝手だし、別に止めたり殺したりするものではないとは思う。

けど、そんな私の気持ちを受け止めるスペースが子どもの中ではなくなっていっていずれゼロになることもまたわかっている。

私が自分で片を付けないといけない気持ちなんだ。

私の子育てのなかの一番スイートな時期は終わってしまったんだろうな、と思う。

下の子の育児は、経験や慣れもあってそこまで盲目的ではない、そんな予感がする。

上の記事に書いたように、やはりなんらかの形で私の中に貯金していこうと思う。

現実に、かわいいだけではすまされない子育てのフェーズに入って、それでもやっぱり子どもはかわいいと思う気持ちの蓄えがあっても別にいいだろう。読まれることのない手紙を投函しているようで切ないけど。

でもどう使うことになるのかはよくわからない。

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