男児2人とおじさんのいるおうちのくだらない笑いの世界
小学生男子がうんことかおっぱいとかちんちんとかで笑うとは昔からそうだし今でもそうらしいと聞いていた。
しかし、地味な家庭に育ち地味な子ども時代を過ごした私はピンと来なかった。昭和のくたびれたサラリーマンとヒステリックな専業主婦の両親と囲む食卓は楽しげな話題はあまりなく、食事のマナーとか姿勢が悪いとか小言以外はシーンとしていたのでそんな話題は皆無だった。
さて、現在我が家は8歳と3歳の男の子とおじさん(夫)が好き放題に過ごしている。言ってみれば珍獣猛獣の住処である。
そして、冒頭に示したような、放送禁止ワードが炸裂している。
最初こそはやめて🫸と制していた。
が、なにせ相手は3人。
そのうち、失笑していた私も声をあげて一緒になって笑ってしまうまでに落ちぶれてしまった。
まだライトなものは、名前の呼び名である。
「◯◯ちゃん」
と呼んでいるのが、呼んでも来ない時には「◯◯ちん」
になり、それでも答えない時は「◯◯ちんこ!」と叫ぶようになった。
それでも無視する時など悪質だとエスカレートして、やがて最後は「ちんこー!」で応戦するようになった。
夫に至っては効き目がないと今度は「きんたま」まで持ち出す始末。
そんなことをすると、8歳児は余計喜んでふざけるし、何も知らない3歳児は自分もと真似して私が諫めると注目を浴びたことに喜びさらに声高らかに下品なワードを披露する。
治安が悪化していく。
そうした禁句ワードからの罵り合いと応酬はなぜか父子の間では盛り上がり最終的に私が「やめなさい!」と親子3人をまとめて叱る羽目になる。
昭和の親はひっ叩いたり、蹴ったり、叩いたりして叱りつけその威厳を保っていたと思う(家庭による)。
一方で、今の親は叱らない怒らない、と言われているが、普通に、怒っているし、叱っている。
してはいけないことをしたらその場ですぐ止めるし「◯◯だからダメ」と言う。ふざけて何度も繰り返すときは手を掴んだりハグして静止させる。(物理的な力は子に敵わなくなるし、高齢夫婦なのでね…)
やるべきことをしないときは、最初は優しく◯◯しようね、などと注意する。次に◯◯しよう!と促す。◯◯したら◯◯できるよ、などと釣ったりもする。しかし、全く聞かないときは、だんだんと言葉がキツくなっていく。もちろん、かなり待つがこちらも限界が近づくと声が大きくなる。「◯◯しよう!」そして、「まだしてないの?」と責め立てるような形になる。そしてそうした努力も全て成果に結びつかなかった場合、「◯◯しないと、ご飯食べられないよ」などとなる。そして、そのようなやりとりを繰り返し「もうどうにもならないとき」にポーズで手を振り上げる。それで動かないとき、やっと、お尻を「ペン」だ。つまり、おしりくらいなら叩くことも、稀ではあるがある。ただ、そこに至るまでに200通りほどのトライを重ねて、どうしようもなくなったときの手段なのだ。
はぁ、昭和のように、2通りくらいで頓挫したら即お尻ペンできたら楽なのに…と思わなくもないが、言葉による解決を求めてなんとか粘る。(言葉の力を信じて…)
お尻ペンまでに200くらいの手段を駆使し、お尻ペンペンに到達する。
お尻ペンの直前には、私は本当に恥ずかしいことに、お尻に足裏を当ててグラグラと高速マッサージをするという珍芸を挿入してしまっている。叩くのは抵抗があるのだが、蹴ってるようで蹴ってなく、かと言ってプレッシャーは与えられる珍芸を試してみるが効果はなさそうだった。
これでは、バカ親子のじゃれあいだし、やってる私もあほらしくなり内心は笑いが止まらなくなる。我に帰り時間を無駄にしたダメージもあいまって、怒鳴ることになる。
こうして、おバカがおバカを育てる黄金ルートが出来上がる。
躾のなっていない親を非難する方、ぜひオラんちで見本を見せてくだせぇ。
どうにもおかしい。私は中学生のとき生徒会副会長で内申点満点のような生徒だったのに、自分の中にこんなにふざけたワールドが展開するとは。
最近、3歳児が咳払いなどを聞きつけると大丈夫?と聞いてくれる優しさを身につけてくれた。
そして、リビングにいる夫に聞いた。
「大丈夫?」
リビングで寝転んだ夫が答える。
「ありがとう、大丈夫だよ。」
「おならしただけだから」
本来なら百年の恋も冷めるところだろうが、今の私は言うまでもなく息が止まるかと思うほど笑い転げてしまった。
遠い昔、真面目でつまらない自分が嫌いで、うんこちんちんで笑い転げるクラスメイトたちが羨ましかった。
そんな憧れ?のせいで息子たちをこの世界に住まわせてしまったのか?!
だとしたら幼い頃もっとバカになればよかった🤣