子どもの成長記録。令和の小学校の運動会でノスタルジーが止まらない!
小学校の運動会。
当たり前だけど、時代も変わり運動会も変わってる部分がある。
開催の時期は秋じゃないし、親の観戦時間は区切られてるし、競技内容もコンパクトだし(練習時間が取れないから?あと、組体操や騎馬戦なんて危なくてやらないのかな?)給食があるし、生徒たちは校庭に座ったりしない(教室から防災頭巾つきの椅子を持ち出す)し、水筒を携えている。
そう言えば、派手に音楽流したりもしない。運動会と言えば、クシコスポストとか天国と地獄など、鉄板の音楽がある。ありますよね?
けど、そんなに目立って流してない。
都会だから近所迷惑にならないようにかな?と思っていたけど、競技中にうっすら流れているのは流行りのJPOPだった。この辺は選曲を担当する先生の趣味だろうか。
しかし、生徒たちが歌うこの歌は覚えがあった。息子が運動会の前から練習していた歌、「ゴーゴーゴー」である。
紅組は太陽、白組は稲妻。
それぞれが微妙に異なる歌詞を歌って最後に紅白一緒に歌うと見事にハーモニーがマッチする構造になっている。
運動会の鉄板のこの歌、今の小学生も歌ってるんだあ…と思うとじんわり懐かしさが胸に広がってくる。
子どもが学校で、親もやったことをやるのは感慨深いものがある。
例えば、一年生のくじらぐも、二年生のスイミー。
子育てで蘇る昔の記憶と切ないような苦しいような気持ち。そしてノスタルジー。
私の小学校の運動会でもゴーゴーゴーを歌った。しかもボンボンを降って振り付けまでしていた。車で来られる距離にいる祖父母が観に来てくれて、なんだかみられるのがはずかしくてうつむいたことを覚えている。
広い校庭に土埃。
校庭のすぐ横にある国道の歩道橋からマーチングバンドの演奏を見る人たち。
当時私が好きだった男の子は足が速かった。なんで小学校では足の速い子はあんなにカッコ良いんだろう。
完全に脇道に逸れた。
2年生になった息子の運動会を観ていて気づいたことがある。
昨年より観に来ている親御さんが少ない。
学年毎に保護者が入れ替えなのでわからないけど、来年以降は減るばかりかもしれない。
あと、我が子を見つけづらい。
全体的に動きが早くて目が追いつかないのと、みんなおっきくなって空間に隙間がない、体格差で見分けにくいなど。夫は更に「目が見えにくくなった」(夫の視力は悪くはないので、動体視力の衰えとか?)、そして、我が子が「親を探して振り向いたりしない」のである。
そりゃ向こうがこちらを探さなければより見つけにくいはずである。
ひょっとして、恥ずかしいからもう観に来なくていいなんていつか言われるのかもしれない。
いつかの土埃の運動会で、競技が終わって退散中に通路でおじいちゃんと目があってうつむいた記憶が呼び起こされて胸が締め付けられた。
参観日に母親に「来ないで」と言ったことも。
ちょっとずつ、息子の中で私の出番は減っていく。
親離れ子離れはいきなり来るのではなく、じんわりとグラデーションのように進んでいくのだなぁと感じた運動会だった。
また来年も観に行けますように。