子どもの成長記録。嬉しいかすり傷。よしよししてあげられる日の終わりはいつだろう。
転んでも泣いたりしなくなった息子は当たり前だけどもう赤ちゃんじゃない。小学生だし。
その一方で「よしよし」をしてあげることさえなくなるのではと気付いて後ろ髪を引かれる気持ちも湧く。
先日、息子は、放課後子どもたちを教室で預かってくれるこども教室で行われるイベントに参加した。オセロ教室だ。息子はオンラインで研鑽を積み、パパママではそうそう勝てないほど強くなってしまった。
オセロ大会の開催日を知るとカレンダーに印をつけて心待ちにしていた。その日まで毎日学校に元気に通っていた。小学校始まって以来、日に日に自信をつけて通うようになり、ここまで意欲的に通うようになったことに感激してしまった。
そして待ちに待った当日。夕方、家で帰りを待つ私はソワソワしていた。オセロ大会はどうだっただろうか?給食をあまり食べられなくてお腹がすいていたらかわいそうだな、他に強い子がいて自信を無くして帰ったきたらどうしよう。
帰宅するはずの時間になった頃、ピンポーンとエントランスのインターホンがなった。
校帽を前後逆に被った息子の頭頂部がカメラに映し出される。
「おかえり!」
私は元気そうな息子の姿に安堵した。と思ったその瞬間「ぼくね、オセロ大会優勝したんだよ!」と大きな声がモニターから聞こえてきた。急いで中に入ってきて最後の方は後ろ姿だけだった。
エレベーターから出てくる息子を迎えようと私は玄関ドアをあけてエレベーター手前で待ち構えていた。そして、出てきた息子をぎゅーした。こんなに嬉しそうに学校から帰る息子を見ることができる日が来るとは。教室まで同伴登校していた私に教えてあげたい。
その日は夕方も夕食もオセロ大会の話で持ちきりだった。そしてお風呂のとき。息子の怪しい動作が気になった。
何やら片方の足を入れるのをためらっている。聞いてみると「今日帰りにころんじゃったの」とのこと。
とってもうっすらとしたかすり傷なので、ちょっとずつお湯をかけたら湯船に入ることができた。絆創膏を貼らずにお風呂に浸かれたのは初めてだった。
帰り道に転んじゃったのか。
おっちょこちょいで情けないやつ。
でも、胸にぐっとくるものがある。
ぼく、オセロ大会で優勝したんだよ、そうインターホンで告げた息子の顔(ただしくは、主に頭頂部)を思い出す。
もしかしたら、優勝したのが嬉しくて、早く帰って報告したかったのかもしれないな。
お風呂で聞いてみた。
転んだとき痛かった?
「痛かったけど泣かなかったよ」
最近、泣かなかったアピールが多い気がする。
そろそろ、よしよししてあげる機会もなくなりつつあるのだろう。
他の子より遅いんだろうけど、それでも、息子なりに成長しているんだなと思う。
さみしいけど、それなりに嬉しくもある。
うれしいニュースをパパママに知らせたくて早歩きする息子。
早足でもつれて転んでしまう息子。
泣きたくても我慢して立ち上がる息子。
それでもやっぱり家に着くといちばんにうれしいニュースを教えてくれた息子。
どれもこれも、宝物だ。
よしよししてぎゅーしたい。
そのうち、よしよしもぎゅーも煙たがられるかもしれない。
だからこそ、今日が最後かもしれない、としがみついている。
もし息子が将来もっと大きな舞台に立つときが来たら、家路を急ぎ早足で転んでしまう息子はもうそこにはいないはずだ。
それなのに、私は、ずっと、インターホンが鳴るのを待つあの日の私のままなんだ。
そして、あの、うれしいかすり傷を忘れることができないんだろうな。