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わかってもらえること、心理的安全性

こんにちは。4/19(金)のラジオ(4/26 再放送)でお話したことは
前回の続きなんですけれども

「苦しんでいる人は自分の苦しみをわかってくれる人がいるとうれしい」
ということと、じゃ、「わかってくれる人」ってどんな人?
というお話をしたんですね。

「わかってくれる人」とは、「話を聴いてくれる人」
話の聴き方は、「耳」に「目」と「心」を「プラス(+)」して「聴く」
ということでしたよね。

今回はその話の聴き方を詳しくお話ししています。

また、ラジオの後半では、話を聴いてもらえることで得られる
「心理的安全性」と、そこに関連する人の欲求について
そして、苦しいときにこそ見えてくる「支え」についてお話ししています。

1.わかってくれる人になるための話の聴き方

わかってくれる人になるための話の聴き方には、「反復」「沈黙」「問いかけ」という技法があります。ここでは、練習すると専門家でなくても、比較的習得しやすい、「反復」と「沈黙」についてお話しします。

①反復

反復は、相手の伝えたいメッセージをキャッチして、相手の発した言葉の語尾に「ね」とか「だね」をつけて相手に返していきます。
例えば、「昨日の夜、眠れなかったんだ」と相手が言ったとしたら、「昨日の夜、眠れなかったんだ」というように語尾に「ね」をつけます。
そして、心は「そうなんだね」と相手の気持ちに寄り添わせます。

相手が話しているのに、視線はスマホ…じゃ、心は寄り添ってないですね。
「耳」に「目」と「心」を「プラス(+)」して聴くわけですから、視線はもちろん、相手のほうへ向けます。

たとえ相手に視線を合わせていても、「そりゃ、あんた、昼間っから寝よったんじゃけ、夜寝らりゃーせんよね」とか、「一晩くらい寝られんかっても、死にゃーせんよね」とか言わないでくださいね。
いくら語尾が「ね」で終わってるからって言っても、これじゃ、相手の気持ちに寄り添ってはいないですからね。相手の苦しみは「昨日の夜、眠れなかった」ということなので、それを無視しないであげてほしいです。

それを踏まえて、Let’s practice!
「宿題忘れて、先生に怒られた。」
学校から帰ってきた子どもが、あなたに報告してきました。
親であるあなたは、子どもにどう返しますか?

三択でいきます
1 「まあ、宿題忘れたん。そりゃ、先生に怒られて当たり前じゃ。」
2 「なんで宿題忘れたん。遊びよったんじゃろう。」
3 「そうなん。宿題忘れて、先生に怒られたんじゃ。」
はい。語尾に「ね」はついていますが、
どの返し方をされたら、子どもはあなたに「わかってもらえた」と思えるでしょう。

では、逆に、自分が子どもだったら。
どのように言ってもらえたら、「あー。わかってくれた。」と思えるでしょうか?
回答はラジオを聞いてみてくださいね^^

ここで、「わかってもらえた」と感じられなかったら…
子どもはどんな気持ちになるでしょう。
「もう話してもわかってもらえんし、話さんでもええわ。」って思ってしまうかもしれませんね。もしかしたらはぶててしまうかもしれません。
(はぶてるって、広島弁ですねるとか、腹を立てるとか、不機嫌になることを示します)
そうすると、親は「もう、うちの子、全然いうこと聞かんのよ。すぐはぶてるんじゃけぇ。」って評価してしまいがち。この評価は「いうことを聞かない悪い子」という、裏のメッセージを子どもに伝えてしまいます。
裏のメッセージを受け取った子どもはどうなるでしょう。
「親の言うことを聞かなければならない」「親の言うことを聴けない自分は悪い人間だ」「「悪い人間は罰せられる」「悪い人間はいてはいけない」「自分がいたら人に迷惑をかける」…自己否定、自己肯定感の低下、周囲との関りの断絶、引きこもり、そして社会不適応という、非生産的な苦しみを与えてしまう可能性があるんです。

②沈黙

わかってもらえた、と思えたら、人には自然に出てくる言葉があります。
「そうそう」「そうなんだ」「ほうよ」「そうなんよ」…etc
同意の言葉ですね。
この「そうそう」「そうなんだ」のあとに、本当の大切なメッセージが出てくることがあります。
この、大切なメッセージは、自分から外に出すにはとても勇気がいります。だって、それを言うと相手がどんな態度をとるか、わかんないですよね。本当のことを言ったら、怒られるかもしれない、と思ったら怖くて言い出せないですよね。

この、言うか言うまいか、考えている時間を「沈黙」といいます。
話を聴いているとき、相手がもし黙り込んでしまったら、それは「沈黙」の可能性があります。相手が自分の気持ちを言い出せるまで、聴く人は待ってあげてくださいね。沈黙を待つ時間はとても静かです。でもいいんです。
相手の言い出しにくい気持ちにも、寄り添っていきましょう。そして、勇気を出して話してくれたら、「そうだったんだね」と受け止めて反復して聴いていきましょう。

わかってもらえた、と思えることが増えると、自己肯定感が上がります。自己肯定感が上がると、人の生産性も上がります。場の空気も穏やかになりますね。すると…心理的安全性が保たれます。

2.心理的安全性

最近、よく見聞きするようになった、「心理的安全性」。
簡単に言うと、自分がそこにいることを安心していられる状態ですね。
失敗したら頭ごなしに怒鳴られたり、圧力の強い場面では、緊張するし自分の意見を我慢してしまうかもしれませんね。クリエイティブな発言が妨げられ、生産性が損なわれます。自分の意見や気持ちを表現することができる、どんな意見でも意見として承認される雰囲気なら、積極的な発言ができますね。
また、ダイバーシティやインクルージョンも様々な場面でよく見聞きします。ダイバーシティは多様性、みんなが持っている様々な個性を認めること、インクルージョンは多様な人々が集まった組織の包括性・一体性をいいます。多様性を認める考え方の中で、自分の意見や気持ちが「わかってもらえた」という安心感は「ここにいてもいい」と自分の居場所を認識でき、自分の存在価値を認めることができます。心理的安全性が保たれ、穏やかに過ごすことができますね。

世の中のみんなが、一人ひとりが多様な価値観を認め、人の持つ「苦しみ」に寄り添うことで、周りにいるたくさんの人が穏やかになっていく可能性があるんですね。

今日から始めてみませんか?
反復と沈黙の技法を使った話の聴き方で、一緒に「穏やかな場所づくり」をしていきましょう。

3.人の欲求と「支え」

自分が苦しいときに、じっくり話を聴いてくれる人って、どんな存在ですか?苦しいときに助けてくれる人、力を与えてくれる人やもの、「これがあるからまた頑張れる」それって、心の支えになってたりしませんか?
人はうまくいってるときには気づかないけど、苦しい思いをして初めて、今まで気づくことのなかった大切なものに気づけるんです。
エンドオブライフ・ケア協会では、援助者養成基礎講座「苦しむ人への援助と5つの課題」の中で、3つの支えについて一緒に考えていきます。

①人間の欲求

支えの前に、人間の欲求についてお話ししようと思います。
有名なのは「マズローの欲求5段階説」です。ご存じの方もいらっしゃいますね。

http://www.takahashiarchitectsstudio.com/news/post_151.htmlより

人間の欲求はピラミッドのような形で表されています。
下にある欲求が満たされて、その上の欲求が生まれてきます。これらの欲求が満たされないときに、人は「希望と現実の開き」を感じ、苦しみを抱きます。
この欲求段階を自分や、周りの人に当てはめて考えてみましょう。その人がどの段階が満たされずに苦しんでいるのか、がわかれば、解決方法が見えてくるかもしれません。たとえ解決できなくても、その苦しみを想像し、寄り添うことができるかもしれませんよね。

みんなが人の苦しみに寄り添える社会…いつか、そんな社会にできたらいいなあ…それが私の夢です。

②苦しいときに見えてくる大切な「支え」

私の夢を語りながら、先ほどお話しした3つの支えを一緒に考えていきたいと思います。
実は、私が抱いている「夢」、これも支えの一つであるんです。
一つ目の支えは、「将来の夢」です。欲求段階では第5階層の自己実現欲求ですかね。この段階は、夢や希望に邁進している状態です。その夢があるから頑張れる、その夢や希望を叶えるために努力する、言い換えれば、頑張れたり努力できるのは、その先に叶えたい夢や希望という支えがあるから、なんですね。

二つ目の支えは「支えとなる関係」です。欲求段階では第三階層の社会的欲求(愛と所属の欲求)、第四階層の承認欲求に当てはまると思います。自分の所属する場所を求め、人から認められたいという欲求です。
あなたの所属する場所は、心理的安全性が保たれていますか?周りから存在を認められ、大切にされていますか?
支えとなる関係、ここには信頼や尊敬、愛着など、その人や物との関係性がとても大きく関わります。その関係性は「きずな」とも表現できるかもしれません。
また、人間関係は社会生活では切っても切り離せないものですよね。社会的欲求が満たされないと、人は孤独感を感じるようになるし、承認欲求が満たされないと、自分の存在価値が揺らぎ、自己否定につながる苦しみを抱きます。学校に行きたいのに行けなくなる、元気に働きたいのに仕事に行けなくなる…実際に経験された方も少なくないんじゃないかと思います。
そのときに、乗り越えられたのは何があったからでしょうか?
自分のつらさをわかってくれる、そんな存在があったんじゃないでしょうか。

三つ目の支えは「選ぶことができる自由」です。欲求段階では第一・第二階層の、基本的欲求・安心安全の欲求になるでしょうか。
まずは生きること。空腹を満たしたい―何を食べる?それを選べると嬉しいですね。ゆっくり寝たい―どこで寝る?布団で寝る?ベッドで寝る?こういうことも自分で選べると嬉しいですね。
そして、知らないところにひとりでいたら不安になりませんか?安心できる環境って、身の安全が保てる場所ですよね。その場所を自分で選べると嬉しいですね。
人が人として生きていくうえで、「選ぶことができる自由」、生きていくための基本的欲求が満たされること、安心安全の欲求が満たされることは、いかに大切なものなのか、よくわかると思います。

こんなことを考えながら、半径5mの人が穏やかにいられる社会を作っていきたいです。

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今日もあなたとSono con te (yumenotane.jp)
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