夙川の桜
ああ、これはもう、終わりだ。
都会の片隅の、見慣れたワンルームの天井を見上げながらそんなことを考えていた。
窓を開けた網戸からは秋の到来を感じさせる心地よい風が入ってくるのに、この狭い部屋に澱んでいる空気は信じられないほど重い。
もっとも、この部屋の空気を重くしているのは家主である私だ。
彼氏と付き合って2年4ヶ月とちょっと。
大学の学科が一緒で、コミュニティが一緒で、なんとなく2人で話すことが多くなって、「付き合ってください」と告白してくれたのは彼の方からだった。考え方も気の強さも、好きも嫌いも似ている私たちが出会えたのは運命だと思ったし、2人でいれば怖いものなんて何もないと、本気で思っていた。
春にはお花見に行って、夏には浴衣を着て花火を見て、秋には紅葉を見て、冬にはベランダに積もった雪で小さな雪だるまを作って並べた。
雨の日にはお家にこもって一緒に映画をたくさん見たし、長い休みには旅行に沢山行ったし、お互いの誕生日には「生まれてきてくれてありがとう」と、「来年もお祝いできますように」を沢山言い合った。
でも、永遠の関係を望み、信じる一方で、どこかでは分かっていた。
若過ぎる私たちが、この先ずっとずっと付き合っていけはしない事、10代から始まったこの関係をそのまま続けていくのはきっと難しいという事。
だけど、そんな現実はあまりにも冷たすぎるから、私は現実に触れそうになるたびに、わざとらしく旅行の計画を立てたり、2人でやりたい事リストを更新したりした。
彼とキラキラした楽しい毎日を過ごす事で、不安な自分を打ち消した。
そうすれば、現実は物陰に隠れ、見えなくなり、私は現実の存在を忘れたふりが出来た。
だけど、いつからだろうか。
いまや、私が入れる旅行やデートの予定は、延命治療のようだ。
冷たい現実が、音を立てて近付いている。
大きな何かがあったわけではない、時間が有り余っていて、お互い曲げられない芯があって、ちょっとした価値観の違いがあって、平たく言えば私たちはただただ若すぎた。
ある夏の終わりの日の夜、
彼と電話でなんてことのない会話をしながら、
ああ、これはもう、終わりだ。と感じた。
今2人を繋ぎ止めているのは依存と、情と、たくさんの眩し過ぎる思い出だ。
この3つだけを持って一生生きていけるほど、私たちは人生を知り尽くしているわけではないし、人として成熟してはいない。
ここから先は、きっと傷つけあうだけ。
そんなことを考えて黙っていたその時、
「ねぇ、いつかさ、結婚しようよ」
彼が電話越しに言ってきた。
絶対に実現しない、場違いなセリフ。
何言ってんの、と笑いかけて気がついた。
気が付いてすかさず、
「じゃあさ、夙川に住もうよ、私たち毎年お花見行ってるけど、すごい綺麗じゃん」
と答えた。
そこからはもう2人で、子供は何人欲しいだとか、犬か猫、飼うならどっちだとか、一軒家かマンションかどっちがいいだとかを泣きながら話した。
妙に現実的な私たちが、付き合った2年4ヶ月してこなかった未来の話を初めてした。
子供は2人で、犬と猫どちらも飼って、夙川の一軒家に住むということがあらかた決まった後、2人揃ってボロボロに泣きながら、最後のバイバイをした。
ふざけながら、笑いながら、冷たくて恐ろしい現実と対峙しないまま終わった私たちの関係は、最後まで私たちらしかった。
翌日、寝不足の頭と腫れている目で身が入らないバイトをしながら、来年以降私は夙川の花見には行かないと決めた。
強そうに見えてあっけなく終わった私たちの関係を繋ぎ止めていた情や思い出には、今後の長い人生を賭けられなかった私たちだけど、私1人ぐらいは眩し過ぎるたくさんの思い出の中の、その中のたった1つだけは一生大切にすることを決めた。
季節は秋だ。
次の春はどんな春だろう。
桜が綺麗な春だといい。
桜以外にも綺麗なものがあるともっといい。