相手の善意を受け取る力
皆さんこんにちは、しまさです。
私は過度に干渉されるのが苦手な性格です。例えば、問題に対峙した時には、まず自分の頭で考え、自分なりの回答に辿り着きたいと思っています。人に聞くのはそれからです。
しかし、時には何か思い悩んでいることを察知され、助言をしてくれる人もいます。おそらく善意としての行動なのでしょうが、こちらとしてはそこまでありがたさを感じません。悪い言い方をすると、ありがた迷惑です。
一応相手にとっては善意なので、こちらとしては「ありがとうございます」と返すことしかできません。感謝に気持ちを伝えつつも、心の中では感謝していないのがモヤモヤします。
きっと善意を善意としてそのまま受け取る力もあるのだなと思います。そこで今回は、善意を受け取る力というテーマで考えていきます。
①ありがた迷惑とは
冒頭にありがた迷惑という言葉を使いましたが、その意味がこちらです。ポイントとしては、与える側は善意なのに、受け取る側は迷惑と感じていることです。これでは善意を善意のまま受け取れていません。
与える側としては、善意を迷惑だと捉えられてしまって悲しいです。反対に、受け取る側は相手にとっては善意だから、「ありがとう」以外に返す言葉がありません。お互いの気持ちが一致しておらず、とても残酷ですよね。
そして、最悪なケースは、相手の善意にすら気が付けないことです。ただただ迷惑を被ったと感じて終わってしまいます。つまり、ありがた迷惑ではなく、ただの迷惑になります。反抗期の子供が母親に「うるせえクソババア」と言うように。
ありがた迷惑と感じているということは、少なくとも相手の行動が悪意ではなく善意という事には気が付いています。なので、そういった意味では、善意を受け取る力の第一歩は、ありがた迷惑と感じることだと言えます。
迷惑ありがたは存在するのか
少し脱線しますが、善意を迷惑を感じる事がありがた迷惑です。ならば、迷惑を善意と感じる事は迷惑ありがたと言うのか、ふと疑問に思いました。
調べてはみましたが、迷惑ありがたという言葉は存在しないようですし、期待する意味に相当する言葉も見つかりませんでした。似た意味の言葉では、「ピンチはチャンス」くらいでしょうか。
善意を迷惑と感じる言葉はあるのに、迷惑を善意と感じる言葉はない。ということは、善意と迷惑は紙一重ではなく、不可逆的な側面を持っているのかもしれません。
②優しさを循環させる
宇宙兄弟という作品に、「優しさに気づくのもまた優しさ」という言葉が出てきます。私の好きなシーンの1つなので紹介させてください。
兄弟で夜道を自転車で入る中、前を勢いよく走る弟のライトが切れます。それに気づいた兄が、弟の足元を自分のライトで照らしてあげます。そして、その優しさに気づいた弟は速度を落とし、兄と速度を合わせて走り始めるのです。
兄の優しさに弟が気が付き、さらに弟が兄に優しさを返すことで、優しさが循環していますよね。もし、兄の優しさを弟がありがた迷惑と感じてしまっていたら、この優しさの循環は起こせません。
優しさに気が付くのも優しさです。そして、その先には優しさの循環があります。そのため、優しさの好循環を発生させるためにも、相手の善意を受け取る力は大事になると考えます。
③被害者意識を捨ててに考える
以前、「被害者意識を捨てなきゃ相手視点は見えてこない」という記事を書きました。善意を善意として受け取れないケースも、結局は被害者意識が先行してしまい、相手視点が見えていないのでしょう。
被害者意識を持っている状態では、相手を加害者と決めつけています。人は悪いと思っている相手の視点で物事を考えるのは難しいです。そんな状態では、相手の善意を受け取りずらいですし、ありがた迷惑が頻発します。
そのため、被害者意識を捨てて相手視点に立つことはとても重要です。そうすれば、相手の善意にも気が付くことができ、素直な気持ちで感謝を述べられることにもつながりますから。
何より、善意を迷惑と捉えられてしまうのは悲しいですし、少なくとも相手の善意にはちゃんと気づいてあげたいですね。
まとめ
相手の善意を善意としてそのまま受け取るためにも、たとえ迷惑だと感じても、まずは被害者意識を捨てて相手視点で考えることが大事です。そうすれば、優しさの好循環にきっとつながります。
ありがた迷惑は「ありがとう」と返すことしかできないと書きましたが、それが本心なら案外それで良いのかもしれません。心からの感謝なら、善意の循環にもなり得ますからね。
以上です。最後まで読んでくれてありがとうございました。