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祖母と。一粒の思い出。

小さい頃。毎日の食事の時、祖母がいた。
一緒に食卓を囲んで、「美味しいね」と話しながら一緒に食べる。私の幼少期の毎日の何気ない風景であり、当たり前の日常であった。

祖母は大正生まれの人で、同級生のおばあちゃんたちに比べると、かなり年上であった。だから、アクティブな活動ができる訳ではなかったし、足が悪くて体調が優れないこともよくあった。けれども、いつも側にいてくれて、沢山のいわゆる「おばあちゃんの知恵」という生きる知恵をたくさん持っていて、それをいつもここぞと言うタイミングで私によく語り聞かせてくれた。今でも彼女の教えてくれた知恵は、私の心の中に脈々と流れ、生きている。今回はそんな祖母との思い出でを語ってみたい。

私の家は和食派である。
朝ごはんは必ずご飯と味噌汁。それ一択。
毎朝のスタートご飯と味噌汁。これはある種の家訓に近い。

そんな我が家で育った私は、小さい頃、自分でお箸を持てるように練習していた。幼児用の専用お箸をを持って毎日特訓。なかなかうまく持てなくて、ずっとずっと練習してやっと持てるようになった4歳くらいの時、嬉しくて自分の目の前に並べられたおかずをモリモリ食べていた。そんな私の姿をいつも横で見つめていた祖母。

ある日、お箸を持って自分のお茶碗に入った炊き立てのご飯を食べていた時、祖母が語り出した。

「やっぱり炊き立ての白いご飯は美味しいね。こんな贅沢なものはないよ。戦争中は米は貴重で食べられることなんて滅多となかったんだ。さつまいもやその茎を食べないと生きていけなくてね、何度もご飯が食べたいと思ったものさ。だからこうして毎日ご飯が食べられることに感謝しないとね。」と。

「おばあちゃん、戦争知ってるの?」無邪気に私は尋ねる。

「知ってるも何も、その時代を生きてたからね。いつも空の上には戦闘機が飛んでいて、物々しかった。『生きていけるのか?』と案じる気持ちが毎日募っていってね。あんな時代は子どもや孫たちには生きて欲しくないよ。」と悲しそうに呟く祖母。

「それにね、知っているかい、お米の話?お米、稲穂はねお百姓さんが毎日汗水たらして一生懸命に丹精込めて作ってくれた賜物なんだよ。命をかけて作ってくれた日本の宝なんだ。この宝の一粒一粒に7人の神様が宿っていてね、私たちに命を分けてくださっているんだよ。あんたもね、あんたの大切な可愛い命を、このお米の一粒一粒が命を分けて繋いでいってくれてるんだよ。だから、どんな時でも米一粒ムダにしちゃいけない。感謝の気持ちで残さず食べなさいね。それが粋な心なんだよ。」と。

その話をふーんと聞いていた幼かった私は、自分のお茶碗を見た。そこにはお椀の中に何粒かまだ残っている。「お米一粒一粒に神様が宿っているのか。残さず全部食べよう。」自然とそう思って、お箸でお茶碗に残ったお米をとって食べる。

「おばあちゃん、見て!全部食べたよ!」と笑って自分のお茶碗を得意げに祖母に見せる。すると、祖母は優しく「ホントだね、綺麗に食べられたね。でももう一粒、残っているよ。」という。
「えぇ、どこ?」とお茶碗を見つめる私に、「あんたのお口の横さ。」そういって私の顔についていたお米をとって食べた祖母。えへへと笑う私。優しく笑う祖母。

これは私のタカラモノの思い出だ。
それからはお米一粒一粒を残さず食べることが、私の当たり前になった。

大好きだった祖母との思い出はいっぱいある。これはお金では買うことのできない私のタカラモノ。その天寿を全うした祖母はもういない。祖母が亡くなったその日、心にポッカリと穴が空いてしまって、どうしようもなくなった私は空を見上げていたっけ。やけに朝焼けが綺麗な明け方の空だったな。

祖母はもういない。けれども、祖母から教わった「戦争の話」、「お百姓さんが汗を流して命かけてお米を作ってくれている話」や、「お米一粒に7人の神様が宿っているという話」は今でも私の心でしっかり生きている。そして、この命は、確かに祖母が繋いでくれたもの。だから私は今、こうして生きているのだ。本当にありがたいこと。

大人になった私は、誰かとご飯に行く。
すると、意識しているわけではないが、その人のお米の食べ方を見る。一粒一粒を丁寧に食べる人、そのまま残す人。色んな人がいる。
良い悪いという尺度ではなく、感謝の気持ちで頂くという気持ちが宿っているか。「食べるというのは、生きること。」その仕草や向かう姿勢から、その人の人となりが見える気がする。「食べることは、命を次に繋げていくこと。」にも繋がっている。だから、心底ありがたいことで、命を分けてくれている食べ物たちに敬意と感謝を込めていただく気持ちが大切だ。

「いただきます。」と「ご馳走様。」
本当にシンプルな言葉だけれども、ここに敬意と感謝が宿る。
海外ではなかなか見られない習慣であり、当たり前の言葉だけれども、この言葉や習慣に日本の美や日本の精神性の高さが窺えると私は想う。これも祖母が私に教えてくれたタカラモノ。海外で暮らしてから、この敬意と感謝の美しい日本の心を、私は再発見した。やはり日本は愛おしく、祖母と生きた麗しい場所であり、私の魂の故郷だと歳を重ねるごとに、つくづくと想う。

そして、また想う。
「命を分けてもらっている。」という角度で食事ができれば、フードロスも減らせるのではないかと、祖母の話を思い出しながら思うようになった。当たり前に存在しているわけでない。見えないところで、誰かがみんなのために一生懸命に繋いでくれているものだから。大切にしたい、その思いも、目の前にあるご飯も。

季節は秋。食欲の秋でもある。
祖母が教えてくれたこと。
今日も一粒一粒、ありがとうの気持ちで頂きます。
命を分けてくれて、ありがとう。
「いただきます。」そして、「ご馳走様。」

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
Bless you :)

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