徒然なる心をば。②
今日は神奈月の最後の日。
春とは違って、秋に咲く花はどこはかとなく哀愁を纏っていて、色気がある。その色気にたまに当てられる時がある。そんなことを如実に歌に表したのがあったなと、ふと思い出す。
美しいものを見つけた時、人は声高にその感動を叫ぶ。
それは衝動に駆られるものでもあるし、生きているから自然なことなのかもしれない。けれども、美しいことを静かに見つめていたい時もある。
この歌に読まれている女郎花は、見事なまでに咲き誇っているのだろう。その様子は美しいを通り越して、艶かしく、また 、かしがましいと僧正遍昭は歌っている。それは、若い女性たちが集まって、他愛もない話題をケラケラと笑いながら声高く話している様子にも類似しているような雰囲気。
美しい、花盛りの時。
なんでも大きく語ったり、何を見ても過度に表現してしまうのは、ある種の若気の至り。誰にでもあるその至りを、時を経た人間が同じ世界枠で目にした時、「自分にもあんな時があったな。でもちょいと落ち着いたらどうだい?」と言いたくなる心情は、わからなくもない。
見つけた喜びと、その喜びを秘めておきたい心情は、相反するものなのだろうか。なんでもシェア・共有することが当たり前のようになっている今の世に、秘めておきたい喜びや思いもあっていいと思ったり。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
Bless you :)