認識するものがいなくなったとき、世界はどんな風に存在しているのか。
世界というものは、認識するものがいてこそ成り立っているのではないか。
唐突にそんなことを思った。
量子力学の多世界解釈などの話があるのは何となく知りつつも、とりあえず世界そのものは一つであるとして、それは一体どんな姿形をしているのだろうか。
人間にとっての世界と、猫にとっての世界は別物だろう。
人間には目視できないが、原子や電子などは確かに存在している。
そんなものがたくさんある。スケールを変えれば認識し得る世界は変わる。
人間が認識している世界は「人間の認識する世界」であり、世界そのものではない。
そして人間が人間である以上は、どこまで「世界そのもの」を考えようとしても、結局「人間の認識する世界」の中でのことであり、その外には出ることはできない。
そうなると、「世界そのもの」などそもそも存在するのかという疑問が沸いてくる。
認識するのもがいなくなったとき、世界は一体どんな有様なのか。
この疑問に対する答えを、私はまだ探していない。
おそらく、歴史の中で様々な人々が様々な角度から考えてきたことなのだろう。
哲学なのか。科学なのか。
今日も今日とて荒削りな文章になってしまった。
何か参考になる文献があればどなたか教えてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?