私が義務教育に求めるもの
今日の記事がnoteを始めた主題である。これから数多くの記事を出していきたいと意気込んでいるが、その根底にあるのがここで書く思想である。まあしばらく経って多少変わるかもしれないが、2024年現在の自分の気持ちを纏めておく。
小中学校に求められているものは何だろうか?大きな括りでいくつか挙げてみる。
① 各教科における能力を上げる
② 人間関係をベースにした社会性を育む
③ 人権教育やインクルーシブ教育を通じて現代的な規範を身に付ける
④ 親が管理できない時間に子の安全を保障する
⑤ ただ伸び伸びと快適に過ごさせてほしい
これらの項目の優先順位が各個人、各家庭で変わるのだと推測する。
SNSを中心としたネット世論はこんな順位ではなかろうか。
④>①>③>>②⑤
SNSというのはテキストベースになるため、規範的な意見で占められやすい。まず命の安全、次に学力、人間関係は結構下になりそうな印象がある。
「どうせ地元の子と付き合うのは小さい頃だけ」
「みんな仲良くなんて指導は滅してしまえ」
なぜか現実よりもこのような意見が喝采を浴びる印象がある。
次に我が子や地域から感じる空気で並べてみる。
②⑤>④>①>③
ネットを情報源の中心にしている方からは「本当か?」と疑問に思われる順番であろう。でも私はこの順番にある程度の確信がある。正月休みに見た教育関係の記事がその証左である。
記事は前半と後半に分かれているが、その後半部分から一部引用する。
この傾向は私も感じていたのだが、さすがにこの数字には驚いた。現代の親は子に不快な時間を過ごさせたくないのであろう、能力を向上させるためにはできない自分と向き合ったり、苦しみを感じる反復を行ったりする必要がある。そこがセットで付いてくる限り「よい成績を取ってほしい」という願望は子を苦しめるものになってしまう。
さてそろそろ主題に入ることにする。私が小中学校に求めるものは以下の順である。
①>②>④>>③⑤
だてに塾経営者ではない。第一義は子どもたちの学力に加え体力や音楽や芸術を愛でる気持ち、家庭の最低限ができる知識や技能を身に付けてほしい。それを集団で行えば自然と②は身に付いてくる。加えて安全はやはり大切でその他にはあまり関心がないのが本音である。
しかし私は①よりも最上位に義務教育機関が目指してほしい教育目標がある。それは「人口維持に必要な合計特殊出生率2.07を達成できる人材育成」である。荒唐無稽に聞こえるであろう。しかし岸田政権は「異次元の少子化対策」と銘打って政策を行おうとしている。「異次元」というのであれば、文科省を通じてそれを達成しようとする国家の目標はそうおかしなものでもない。
21世紀のグローバルな社会において「少子化対策」というのは、根本的に無理な構造になっている。その理由は「少子化対策⇔人権侵害」だからである。まず自由が失われる、そして自己決定権が毀損される、財産権だって侵害される形になってしまう。そして学校でも様々な形で人権教育が行われ、現代の若者は相当高い人権規範を自然と備えている。その人権規範が次世代を生み出すには足枷となる、好きな人と出会って家庭を築き、子を成すという過程にはいくつもの「○○ハラ」な言動が必要となる。それを乗り越えるのが結婚であり出産なのだが、この乗り越えるハードルが指数関数的に高くなっているのがネット出現以降の時代にあたる。
「ではあなたは人権を蔑ろにするのか?」という問いに晒されるだろう。これに対しては明確な答えがある。「現代人は他人の人権を大きく蔑ろにしている。ここでいう『他人』とは、2020年代~30年代に生まれてくる子ども、又は生まれてくるはずだった子どもである」と。
私は国家の人権の総和というものを以前は無限だと考えていた。しかし数年前からそこに疑念が生まれた。そして国家が有することのできる人権の総和は限りがあると考えるに至った。現代は国民の多くの人権が肥大している。その結果が現代の人口動態なのであろう。2023年に日本では159万503人もの人が亡くなった。健全な国家であれば同数に近い新たな命が生まれるはずである。しかし出生数は75万8631人に留まる。これは現代の規範で国が支えられる人権の空席がこれだけの人数分しかないからである。
2024年に寿命を全うされている方の真ん中を1940年生まれと仮定しよう。1940年生まれの日本人は211万人余りである。当時の時代背景からして180万人ほどが成人を迎えれば御の字だったのではなかろうか。実際戦時中である。この私の感覚でさえも上ブレの試算なのかもしれない。これを2023年生まれに当て嵌めてみる。現代の感覚であれば75万8631人のうち不可抗力のほんの少数を除いて75万7000人が成人になるのを求めるのが現代国家の国民であろう。生まれた命は皆で守るのが当然である。しかしそのリソースは限られる。だから75万人しか生まれてこないのだ。
つまり現代人は自分たちの安全安心そして幸福追求が極まった結果、本来は生まれてくるはずだった人間の人権を吸い取って生きていると考えている。上記でも書いたようにこれは荒唐無稽な論だろう。しかし2040年には主流の考え方の1つになるのではないかという確信がある。維新の吉村知事が「0歳児から選挙権」を提案しているが、ここまで少子高齢化が極まれば、その見返りとしてまだ生まれていない世代の声を代弁して投票し、為政者はまだ生まれていない将来世代まで責任をもって活動を行うべきと考える。
その思想を義務教育を通じて子どもたちに伝えていかなければならない。とんでもないことのように思えるが、今の子どもたちが人生90年トータルで最も人権を享受できるようにするには、下の世代が生まれてくることが必要なのだ。彼らが40歳になった時に平均年齢60歳の1億人の国では人権も何もあったものでは無くなってしまう。将来の人権を担保するために現在の人権を制限すること。その発想が教育現場にも必要であろう。
何度も繰り返す、この意見は荒唐無稽で非人道的だと映ると思う。しかしそれは2024年だからだ。2030年くらいから理解者が増えて、2040年くらいには一代勢力になるのは間違いない。だからこそnoteで綴ることを決めたのである。次回以降、具体的に学校や教育機関はどのようにあればよいかを書いていくこととする。
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