2024 富士登山記 ~御殿場ルート~
そういえば盆の8月13日に富士山に登ったことを書くのを忘れていました。これ以上時間が経つとどんどん記憶が薄れてしまうので備忘録としてまとめておきます。
過去に富士山には4回登っています。1999~2001年と2007年の4回。2001年のみ吉田ルートで残り3回は富士宮ルートです。99年は高校の時の友人たちと大学1年生の夏に遊んでいた流れで、そのまま富士山に向かうという無謀な計画で8合目でリタイア。2000年は同じメンバーでリベンジ、2001年は大学の同級生8人で全員登頂。2007年は健脚自慢の友人と2人で最速アタックを目指しいましたが、既に富士登山ブームが始まっていて9合目以降は大渋滞。悠々と登頂を果たしたものの計画通りにはいきませんでした。
今回は自分一人で最速アタックを目指すのと、御殿場ルート名物の大砂走を経験したいという2つの目的がありました。ちょうど家族は義実家に帰省しており、アグレッシブに登るのは年齢的にそう何度もチャンスがある訳ではありません。それなので7月の終わりくらいに登ることを決めました。
私は自分の布団や枕でなければ寝られません。8月13日の日の出と同時の5時に登頂を始めようと計画していたので、前日から同じような体内時計にしようと試みて11日の夜に家を出ました。浜名湖SAに到着したのが0時頃でそのまま車中泊を決めこむもやはりほとんど寝られずに4時に出発。5時から掛川の高天神城に登り、8時には金谷の東海道石畳を見学し、9時に藤枝で朝ラー、10時からは金谷に戻り「ふじのくに茶の都ミュージアム」でお茶の勉強とスィーツを食べ、14時頃に清水港で海鮮丼を堪能し15時からは久能山東照宮に登り参拝。そのまま下道で御殿場までダラダラ運転。18時過ぎに「オアシス御殿場」に到着して風呂に入り軽く夕食。さすがにこれだけ動けば眠くなると思いきや、やはり一睡もできずに夜中の1時半。2時半ころに御殿場口の駐車場に到着。それなりに混雑も第2駐車場の最も奥あたりに停めることができました。ものすごく星がきれいで歓声を上げている人もチラホラ。さすがにちょっと寝ようと4時にタイマーかけて車中で横になると、深く寝てしまって起きたら4時50分!慌てて起きて買っておいたパンを1つ食べカフェオレを飲んで車を出ました。
登山口で受付を終えてスタートの鳥居に到着したのが5時10分でした。以降は通過時間と写真中心で。
延々と続く荒涼とした斜面。写真を見てもらって分かるように富士宮や吉田と違って人はまばらです。噂には聞いていましたがこのかわり映えのしない序盤は結構苦しかったですね。しかもどうも体調が悪い。何となく気持ちが悪い中でやたら足が砂に埋まるゾーンに突入。30分ほど進んだ看板でどうやら下山用の道を歩いていた様子に気付き踏み固められたルートに復帰。その際に少しホッとしたのか嘔吐。急に気分が晴れてペースアップと6時前後は紆余曲折がありました。
頂上までの最後の30分は神奈川から来た10歳の少年と励まし合いながら登りました。そして休憩の時は除いて一人にも抜かれることなく山頂に達しました。すぐ上の山頂に着いた直後の写真は中国人に撮ってもらいました。軽装と荷物の少なさを見て「クレイジー」と笑ってくれましたね。
頂上で喜ぶ登山客。旗を振るベトナム人の多数のグループ。働く人たちの営みを10分ほど観察してから本当の頂上である剣ヶ峰に向かいました。
11時ちょうどに下山を開始しました。霧で視界が悪くなったのと、登山道にたくさんの人がいて落石などの危険があるため最速での下山は諦めました。そもそも私は下りに弱いんです。大会でも登りで上げた順位を下りで落としてしまうんですよね。
それでも七合目より下の大砂走は面白かったです。あれだけ長い下りをずっと走れる環境は日本中探してもそんなにないような。ファイナルファンタジーの主人公になったような高揚感で霧の砂地を駆け下ります。しかし靴の中に砂が入りまくったのが反省点。ゲイターで小石や砂の侵入を防ぐ必要がありますね。ここは反省すべき準備不足。
ざっくり4時間20分で登って2時間で下って戻ってきました。確かに他の登山道では味わえないダイナミックさがありますね。富士登山競走への憧憬も強くなりました。次回は息子とのんびり登りたいですね。