右往左往しない ~2024の終わりに~
ミレニアムからもう四半世紀が経ったらしい。25年と言うのはかくも短い時間なのだろうか。どうやら子どもの頃に思い描いた人生よりも体感時間はずっと短いようだ。今年は毎日毎日、カレンダーを見て噛みしめるように過ごしてきたつもりだが、驚くスピードで日々が流れていくと実感している。
12月の後半は少しネットから離れていた。引き金は北九州の事件である。確かに恐ろしく悲しい事件であった。襲われた二人には掛ける言葉もない。しかしそれで終わりである。あくまでも数百キロ離れた場所で起こった偶発的な事件である。そこに何も感情を寄せるべきではないし、行動を変えるべきでもない。ウチの塾生に対して行き帰りの指導をしたりルールを変更しようとは露ほども思わない。レアケースに右往左往する必要はないのである。そして現代の社会はいちいち右往左往し過ぎだとまたもや実感した。
私は今回のような通り魔が多少増えることに治安の悪化を感じない。しかしネットで「探偵ごっこ」をしたり、いちいち喚き散らすように事件を拡散したりする人たちの増加には治安の悪化を感じる。同時に幼さを覚える。そしてその人たちの興味はもう既にこの事件にはない。いつの間にか中居正広に怒りをぶつけ、韓国の飛行機事故に恐れおののき、美容形成外科医の一言一言にいちいち怒っているのである。何も生産せずにただ流れてくる事件や事故に怒り悲しみ右往左往する。社会は年を取っているのにガキっぽい大人が増えてしまっているような気がする。まあリアル社会を見るとそんなことは感じない。皆相当鈍感に生きているように感じる。ネットは右往左往を可視化するのだろう。そんな思いがクリスマスや冬期講習や年末と重なり距離を置いていた。
まあ来年以降ももっと良くないことは起こるだろう。インフレ、災害、台湾有事、インフラの摩耗、万博の開催に合わせてまたよく分からないイデオロギーを発露する人たち、不登校や子どもを取り巻く環境の変化云々。多分ネットではいちいち右往左往するのであろう。自分は南海トラフが起ころうとも大切な人が死期を迎えようとも、自分の体に思わぬ変調が起ころうとも、とにかく右往左往せずに受け入れる覚悟である。もうすぐ半世紀生きることになる大人としての矜持である。そして活動をしようと思う。どれだけ小さくでも動くことを優先する。ネガティブな感情を拡散するような在り方とは対角の場所で活動する。それが2025年の目標である。
来年もnoteを通して多くの人と繋がれますように。
よいお年をお迎えください。