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認知のバグ その2
今年の下半期の社会問題で一気に取りざたされるようになったものが「闇バイト」であろう。実際に荒く粗い手口で関東圏では何件かの強盗事件が発生している。塾生からも不安がる言葉があるので「アルバイトは顔が見える店や事業所で行うべきじゃないか」とアドバイスしている。その上で「先生、怖いですよね?」と聞かれると「別に~」と返している。
テレビやネットでは「最近の若者の短絡的な行動は怖いですね」とか「モラルや民度の低下が深刻です」という発言や言葉が躍る。まあそれに対して否定するのも野暮なので5割は深刻に頷き、残りの5割も「まあね」と肯定する。ほぼ全員の人から承認を受けた論になるので「危ない若者」は確固たる事実となる。しかし実態はどうなのだろうか?
私が「別に~」と返した理由は「闇バイトは確かに新しい形の犯罪で怖いけれども、私たちの頃はもっと直接的な暴力が溢れていて、バイクに乗って暴走するような同級生も普通にいた。バタフライナイフを携帯する友人も何人かいたし、チーマーとかカラーギャングなどが跋扈する時代もあった。時代が違えばそういうグループに入っていた若者が、今は『闇バイト』の形で悪事を働いているだけの話。まあそれに悪いことをする若い人は減っているからね」というものだ。
実際にデータを示すと以下のグラフになる。
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よく「日本の教育はなぜここまでダメになったのか?」と議論されることが多いが、この部分を切り取ると素晴らしい成果を上げていると言える。「なぜここまで若者は犯罪に手を染めなくなったのか」という議論がそこかしこでされるべきデータだ。つまり冒頭のような「闇バイト」のニュースはあくまでレアケースであり、今の若者は本当に善良になっている。原因としては各家庭の子育てが「丁寧」になったことやスマホで悪事がすぐに拡散されてしまうようになったこと、またスマホのつながりで「本当の孤独」が解消されたこと等が考えられる。
似たようなグラフには次のようなものもある。
![](https://assets.st-note.com/img/1732516382-OBbrLPuiIE8g4jR15GpfQmo3.jpg?width=1200)
昨今、高齢ドライバーの事故がよく報道されることと、SNSで危険運転や実際の自己の動画が頻繁にアップされている影響で「交通マナーがなっていません!」と怒りの声を上げる人が多いが、実際はこんな感じで交通事故もそれに伴う死亡者数も着実に減っている。私は小学校の時に自転車部に所属しており愛知県の交通死亡者数は暗記させられた。確か502人で「何とか1日1人を下回る365人以下を目指したいよな」と当時の顧問の先生が話していた。ラジオから先日「今年に入ってからの県内の死亡者数は120人を越えました。安全運転に気を付けましょう」と流れてきた。30年前の目標を優に達成している。しかし人々はその成果に喜ぶ様子も気付く様子もない。ゼロにするのは理想ではあるが、ゼロにするには多くの副作用も発生する領域まで来ていると思う。ただ「安心・安全の分野」において日本でそれを発するのはタブーになっている。
話題を冒頭の若者の犯罪に戻す。正直に告白すると若者の犯罪件数が自分が中高生だった平成5年~10年くらいの水準まで上昇しても私は構わない。正に当事者の世代であったが特に「命のリスクが高い」とまでは感じなかったからである。よっぽどオーストラリア以外の海外に行った時の方が危険と隣り合わせであった。確かに人生の残りずっとインドの治安で生きるのは嫌だが、1995年の日本くらいの治安であれば許容する。しかしSNSが発達した現代においてこの水準は多くの人が耐えられないだろうなと推測する。「体感治安のセンサー」が昔とは大違いだからである。なぜか人はこの部分で数値に当たることをしない。感覚で捉えたがる。コロナ禍の時に「何もしなければ42万人が死ぬ」と言われて多くの人が警戒していたが、私は「毎年150万人が死ぬ国で42万なら構わんだろ。何なら420万でも通常の社会で進めるべきだ」と考えた。結局2020年よりも今年の方がコロナの理由に亡くなる方は多いのだが、人々の警戒感は全く異なるものとなった。本当に「体感」なのである。
「体感であろうがなかろうが治安の維持と若者が犯罪を犯さないことは大切だろう」という指摘は必ずあるだろう。しかしこれはコインの表と裏である。今の若者は一言で言えば「やる気の欠如」が甚だしい。そして仮にここを喚起しようとすれば、多分犯罪は増える。何かを行うやる気や行動力が法律の枠内だけで綺麗に収まる訳がないからである。また低下し続ける婚姻率や出生率も多少はマシになるだろう。異性と付き合って関係を築き、身体接触や性交を行うためには「警察なんてなんぼのもんじゃ!」という精神がいくらかは必要である。しかし現代は皆でここを規制して去勢してきた。これらを勘案すると若者の犯罪の低下のニュースは「また日本社会の死が一歩近づいたな」と感じるものになっている。
治安の悪化で国家や社会が失われることは無い反面で、体感治安の捉え違いによって社会が失われてしまうことはあり得る。治安の悪化はほとんどの人にとって不快で恐怖を与える物であり、体感治安を磨くことは令和の世の中では「アップデートされた思考」であるにも関わらずだ。
一人でも多くの人が「現代の日本は人類史上で類を見ない水準の安心・安全が担保されていて、だからこそ凄惨な事件や事故が目立つのだ。社会が長く続くためには今の感覚では相当リスクがあると思われる行動を一人ひとりが取る必要があるのだ」と心に留め置かねばならないと考えている。