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人生というのはたくさんの負けに彩られている

(タイ旅行、楽しかったなと未練がましくホテル正面の写真をあげたが、今、タイにいるわけではない)

人間、ありとあらゆる嫉妬の心に振り回されるものだ。嫉妬には恋愛上の嫉妬もあるが、その他の嫉妬の炎に身を焦がしている人類が巷には多いであろう。

仕事上で、周りの人の方が評価されてるとか、田舎に帰って同級生と話すとあっちの方が金持ちだとか、肩書きが上だとか、色々である。ちなみに母親という人種にはこんな嫉妬がある。

子供が嫉妬のネタになってしまうのである。うちの子よりあちらの家の子の方がというやつである。

母親というのはもう、競馬場のコースから出てきてしまった競走馬であり、今、自分の息子あるいは娘を馬場で走らせているわけです。そりゃ、他の家の馬の情報集めから、良い騎手探しまで東奔西走する人たちです。

反抗期に差し掛かる子供たちは、こんな母親にすっかりうんざりしているだろう。

うちの子は昨年から友達と一緒に空手を習っているんです。道場は深圳と広州や他のところにもあって、今までに2回、広州で空手を習っている子たちとの交流試合に出たことがある。この前出た試合では、うちの子は1勝1敗してしまった。相手は二人とも年下だったんです。背も低かった。しかし、負けました!

昨日の稽古に出掛けてゆくと、

「惨敗だったね!」

空手の先生が古傷を抉る。
その時、私はこう思った。

先生、Sですか?

「相手、9歳だよ?悔しくないの?」

先生、子供の頃、いじめっ子か?Sか?
人間分析マシンとしてカタカタ動き始めた母親より少し離れたところで、うちの息子が爽やかに笑った。その笑顔を見てマシン、カタカタを止めて、しばし、息子の様子を眺める。

ここで一旦現場を離れてワタクシの過去の回想に入ります。

試合に負ける、連続して負け続けると、体や技が負ける前に、もう、心が負けてしまうものです。私は昔、剣道をしていて、連敗野郎だった。

私は勉強に関しては、努力をしたし、負けない自信があった。だけど、運動はダメで、そして、性格の一部には弱さがあり、なんか勝てなかった。武道で勝てない自分は、社会に出ても、ここぞというところで勝てない自分だったような気がする。

空手をする息子を見て切に願うのは、連敗野郎にだけはなるなという思いで、私は自分の連敗、実力はあるのに心で負けちゃう、ここを直して生きるためにものすごい時間と労力をかけているんです。

連敗野郎になる時、人は卑屈に笑うようになる。私は自分がそうだったからわかる。私の剣道の試合は、「はじめ」と言われ、相手と竹刀を向け合いながら見つめあっているときに、もう負けると思いながら打っていて、そして、予想通りに負ける。私は試合の最中に試合に負けて面を取って周りにどういう苦笑いをして見せるか、その笑顔について思い浮かべて準備している人間だったんです。

これっぽっちも自分が勝てるとか信じてなかったし、勝とうとも思わなかった。

息子にだけはそんなふうになって欲しくない。

母親にも母親の人生があり、子供の背中を見ている時、必ず自分を重ねてしまう。勝てなかった自分の背中をそこに見ながら、とある母親はきっとこんな呪いをかけてしまうんですよ。「勝てるわけない」

自分と子供を同一視しているからですね。そして、自分の勝ちたいという思いを子供の肩に載せてしまうんです。

自分自身とお母さんたちに言おう。

子供は、自分の勝ちたいという思いだけで既に重いんです。そこにお母さんの勝ちたいまでのっけちゃったら、重すぎる。
勝てるものも勝てなくなるんですよ。

とある時に親は
自分も勝てなかったから自分の子供も勝てないんだ
と思い込んでしまうことがある。
人間の精神的な力というのは正の方向にも負の方向にも強力です。
それで、試合に負けてきた子供に対してつい、自分に心の中でいつもかけているのと同じ言葉をかけてしまう。

よく考えてください。その言葉は、あなたを連日連敗させ続けてきた言葉です。

「やればできるはずなのに、どうしてここぞという時にできないのよ」

できるはずなのに

その言葉、言っちゃいけない。
いつか、遠いどこかで、あなたも誰かに言われた言葉を、
大切なお子さんに リレーで渡さないでください。

人生というのは、たくさんの負けに彩られている。
最初から勝てる人なんていないんです。
また、勝ち続ける人だっていないんです。
だから、あなたの子供は必ず負ける。負けてあなたのところに慰めてもらいたくて帰ってくる。

遠いいつか、自分が負けた時に、本当ならなんて言って迎えてほしかった?
自分が言って欲しかった言葉や態度を自分の子供にあげてほしい。

子供は、勉強したり、運動したり、そこに頑張るのが役割で、
親は、子供が元気が欲しくて戻ってきた時に安心して休める港でありたい。時には、自分が与えられなかったものを子供に与えなければならないこともある。そういう意味では、子供だって戦っているけど、母親だって今でも戦っているんです。

ここで冒頭へ戻る。

「相手、9歳だよ?悔しくないの?」

息子は爽やかに笑っていた。自分よりも背が低く、しかも年下の男の子に負けたのである。時間ギリギリまで行った接戦ではなく、時間を残した状態で相手に取られた。

人生にはたくさんの負けが潜んでいる。負けると悔しい思いをするし、周りにも色々言われる。ただ、負けない人などいない。勝ち続ける人などいない。歴史上にはもしかしたらいるのかもしれないけど、いたとしても稀だろう。

人間は負けても、負けたことで揶揄われても、立ち上がらなければならない。
人は最初から強いのではなくて、負けても立ち上がる時に、強くなるのである。

息子は先生のいじめっ子的な意地悪な話に爽やかに笑ってた。

なんというか少し、大人になったなというか……

空手の先生は、負けた悔しさがバネになって人を成長させることがあるのを知っていて、意地悪な言い方をしたのだと思う。
意地悪な言い方をすれば10人が10人、いい方に成長するとも限らない。だから、こういう意地悪な言い方はすべきではないという人も多いのではないかと思う。

だから今はゆとりなんだよな。

私は、自分が暗いトンネルのようなものを時間をかけて抜けてきている人間だから思うんですけど、小さい頃から大きくなるまで温室に入れて育ててしまうと、社会に出て何かあるとすぐに折れてしまう。
今は新入社員が辞めないように会社も温室化しようとしていますが、それもどうかなと思う。世界はそんなに甘くない。温室化をしたために日本全体が競争から取り残されるなんてことがあったら、本末転倒です。

小さくて柔軟な頃から負ける経験というのを積んで、負けたために受ける評価に対して、どう付き合っていけるかというのが大切なんだと思う。

怒りをバネに頑張るのもいいけれど、ただ、勝ち続ける人間というのはいないのね。また、反対に、別に勝てなくてもいいや、自分は弱いんだと勝負を投げてもいけない。

人生というのは長いマラソンで、もし自分は強いのだと信じ、努力し続け勝ち続ける道を選んでも地獄、負け続けて嘲られる道を選んでも地獄。

大切なのは冷静さ。そして、己の実力を見極めて、勝てるところでは確実に勝ち、足場を固めながら上を目指す。そして、一回の負けに挫けない強さではないでしょうか。

本当の強さってこういうことだと思う。無理をすれば自分をすり減らし、また、周りも無意味に傷つけるでしょう。

うちの子は先生の揶揄には乗らず爽やかに笑ってました。でも、それでは、別に負けても気にしないと思っていたか?

どうなんだろうなぁ。
ただ、何のために勝つか、なんだろうなぁ。
思うにですね、最初はやっぱりこうだと思うんです。
自分の頭の中では、自分は強いんですよ。人というのは実は、勝手に自分は強いと思っているものなのだと思う。それが、武道なんてやると、非常に明確に自らの弱さを叩きつけられる。
だから、悔しいし、憤慨する。

しかし、憤怒で自らの強さを示そうとしても、やはり倒されてしまう。

何のために勝つのか、どうやって勝つのか、考えなければ勝つことなんて永遠にできない。これは、武道の世界だけではない。

勝つのは自らを顕示するためなのか?
考え続けなければ、自分が勝つ日なんて永遠に来ない。

よくわかりませんが、うちの子は、うちの子なりに考えているし、うちの子なりに成長するでしょう。その速度が他の子と比べて速いか遅いかとかは気にしていません。

うちの子はゆっくり確実に強くなってきた気がします。それでいいじゃないですか。そして、子供が、子供が、というのをちょっとやめて、自分は自分でしっかりやらないと。子供の肩に勝ちたいという気持ちを預けるのをやめて、自分は自分の試合に立ちましょう。

きっと勝てるはずなのだから。

親が子供にしてあげられるのは、負けるなと叫ぶことではなく、負けても立ち上がり、最後には勝つ背中を見せてあげること、或いは諦めずに戦い続けることなんじゃないかな。

2024.06.02
優等生、乙女共著


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