
長編小説:わたしの幸せな結末から_07
昭和的な方法
夏美
「ねえお母さん」
「なに?」
「お母さんってどうやってお父さんのことゲットしたの?」
ダイニングのテーブルでさやえんどうのすじを取っていた。
「あ、ちくしょー」
リビングのテレビの前では太一が相変わらず宿題をせずにゲームをしている。
「ちょっと、太一。明日も学校でしょ。いつ宿題するの?」
「これクリアしたら」
「そんなこといっていつクリアできんのよ。ずっとそこでつっかかってるじゃない」
「あとちょっとしたらすぐするよ」
「ねえ、お母さん!」
わたしは千夏を見た。
「わたしの話聞いてた?」
わたしはすじをもう一つとる。
「お父さんは物じゃないんだから、ゲットとかいうのやめてよ」
「じゃ、獲得したの?」
英語か日本語かの問題じゃないんだけど。
「大体なんでお母さんからアタックしたみたいな前提になってんの?」
「おばあちゃんが言ってた」
どっちのおばあちゃんか聞くまでもない。
「どうやってとかそういうんじゃなくて、二人とも好きだったから、なんとなくつきあうようになったのよ」
「なんとなく?」
「そう。どちらともなく、ね」
「ふーん」
「あーまた、だめだ~」
太一がひっくり返った。もうそろそろ本気でやめさせないと。ゲームでうまくいかなくなると切れることがある。部屋が暗くなってきた。電気をつけて、カーテンを閉めに行く。ベランダから見える街並みをちらっと眺める。12月だというのに、暖かくて雪が降ることなんてもちろんない。暖かいのは嬉しいんだけど、雪国に育った身としては、雪が降らない冬は物足りない。
「あんた、宿題終わったの?」
「終わった」
わたしはまたすじを取る。なんかわたしのすじとりもやたら時間かかっているような……。
「ねぇ、じゃあプロポーズはどっちからだったの?」
「……千夏ちゃん。普通プロポーズっていったら男の人からするものですよ」
「お母さんから結婚してって頼んだんじゃないの?」
すーっ、最後までちゃんととれると気持ちいい。
「なんでお母さんから頼むのよ」
「わたしができちゃったから」
ぷち、途中で切れた。娘の顔を見た。いつもみたいにいたずらっぽい目でからかうようにこちらを見ている。
「誰がそんなこと言ったの?」
「時間調べたらわかるよ。結婚記念日とわたしの誕生日」
ゲームの音がうるさい。太一の寝っ転がってじたばた動く足が目のはしに映る。
「ね、わたしができちゃったからお父さん、お母さんと結婚したんじゃないの?」
「自分で自分のことできちゃったなんて言うもんじゃありません」
気が付いたら娘のほっぺをはたいてしまっていた。
「え?何?」
太一はびっくりしてゲームをやめる。千夏は一瞬目を瞠った後に、涙を潤ませながら自分の部屋に駆け込んでしまった。
「何?どうしたの?」
太一が起き上がってくる。やってしまった。考えるより先に手が動いてしまった。どうしていつも冷静でいられないんだろう。感情でぶつかったからって、子供が理解できるわけじゃないことはわかっているはずなのに。
「お母さん、何?けんか?」
太一は今はゲームより、家庭内での事件のほうに興味があるらしい。
「太一……、宿題しなさい」
清一
久しぶりに早く(といっても8時)家に帰ると、妙に家の中が静かだった。
「あれ、子供たちは?」
「太一はお風呂」
「千夏は?」
「……」
「また、けんかしたの?」
かばんをソファーに置いて、上着を脱いでネクタイを取る。
「何があったの?」
彼女たちは好き同士だからだと僕は思ってるけど、ときどきぶつかり合う。どちらも意地っぱりなので、僕が仲介に入るのだけれど、そのけんかの事情が千夏の成長に従って少しずつ変化して来るのを見てきた。
「それにしても今回はまた」
ずいぶん娘もませてきたものだ。
「あの子、ご飯も食べないで部屋にこもっちゃって」
なつが落ち込んでいる。いつものオーラが消えている。もともとこの人も最近疲れているんだよね。
「気にしないで。お風呂入ってゆっくりしてなよ。千夏とは俺が話すから」
***
「千夏ちゃん」
娘は部屋を真っ暗にして、ベッドにうつぶせに突っ伏していた。何時間この体勢でいたんだろう?こういうとこほんとになつと千夏は似ている。
「お父さん?」
のろのろと千夏が暗闇の中で体を起こす。手負いの肉食獣のようだ。
「また、お母さんとけんかしちゃったんだって?」
娘はこくんとうなずいた。
「そして、ごはん食べ損ねちゃったんだって?」
もういちどこくん。
「お父さんもまだなんだ。たまには外で食べようか。2人で」
娘の顔が少し明るくなった。本当にこの子はかわいい。
「太一が気が付くとうるさいから、お風呂入っているうちにこっそり出よう」
***
「何が食べたい?あっでもファーストフードとかはやめてね。お父さん胃が疲れているから」
「とんかつ食べたい」
「じゃあ、日本食屋さん行くか」
僕たちは仙台の後に四日市へとばされて、その後、2年前から香港にいる。
店に入ると千夏は本当にとんかつを頼んだ。最近はこういうの昔ほどおいしいと思えない。僕は焼き魚にした。料理が来ると娘はおいしそうに食べ始めた。おなかが減ってたんだろう。怒るのも体力を消耗するものだ。特にこの激情型のうちの奥さんと娘は、怒るとものすごい熱を発するので。とりあえずほっとして自分も食べる。
「で、大体の事情はお母さんから聞いたけど今回は何があったの?」
食後のデザートが出るくらいにきいてみる。彼女はまるで口に入れたアイスクリームが苦いかのような顔をした。
「お母さんのことからかいたくって、わたしが先にできたからお母さんはお父さんと結婚できたって感じに言っちゃって」
「君がいなかったら、お母さんにはチャンスがなかったって、からかいたかったの?」
「……ほんとうはそうじゃないってわかってるんだけど、お母さんのことからかいたかったの」
「でも、お母さんが怒ったのは、君がお母さんをひどくからかったからじゃないってわかってる?」
娘は目を丸くした。
「千夏はひどいこと言ってお母さんを傷つけたからぶたれたって思ってるよね。でもね、お母さんは千夏がお母さんを好きだから、わざと意地悪なこと言ってからかってるんであって、本当は傷つけるつもりがないっていうのはわかってるよ。言わなくてもね」
「そうなの?」
「そうだよ。お母さんはね、君が思ってるよりもっとずっと強いよ。自分に対してちょっと悪口言われたって平気なんだよ。大人だからね。でも、お母さんは君や太一が傷つくようなことを言う人がいたら、許さないよ。きっと考えるより先に相手を殴るだろうね」
僕が止めなければ。
「そうなの?」
「そうだよ」
それから付け足した。
「お父さんはお母さんのそういうところが好きなんだけどね」
千夏はゆのみを両手で包んで、じっと僕を見る。
「お父さんがお母さんのこと好きって言うの、初めて聞いた」
「え?そうだったっけ?」
ええと……話をもとに戻す。
「だからね。お母さんが怒ったのは君が君のことを自分で『できちゃった』なんて言ったからだよ。自分を侮辱する言葉だよね。お父さんもお母さんも周りの人も全部、君をできちゃったなんて思った人は一人もいなかったのに」
千夏は黙って僕を見ている。
「お父さんもときどきわざと悪いこと言って冗談にすることがあるけれど、冗談にしていいことと悪いことがあると思うんだよね。今回のような冗談はお父さんだって2度と千夏の口から聞きたくないよ」
「……うん。わかった。ごめんなさい」
ちょっとの反省と少し嬉しそうな顔をして、はにかんで笑いながら彼女は言った。店を出て歩いて帰る。
「お父さん、だーい好き」
千夏は腕に抱きついてきた。一体何歳までこういうことをしてくれるんだろうか。娘は今年13歳。普通だったら父親に抱きつくなんて、もうしないんじゃないかな。よくわからないけど。
「ありがとう」
「なんでお礼言うの?」
「嬉しいから」
お父さんのパンツとわたしの一緒に洗わないでよ、みたいなああいうのはいつ始まるんだろうか?それともないときは一生ないんだろうか。
「お父さん、何考えてるの?」
「いや、別に」
ふと娘のほほを見る。ちょっと赤い。なつ、あいつ一体どんな力で……。
「千夏、次お母さんにぶたれたら、氷で冷やしなさいね」
「え?もう2度目は要らないんだけど。こんなの」
いや、君たちはきっとまたする。人生のさまざまな局面で。愛し合ってるんだけど、愛し合ってるからこそぶつかるんだ。
千夏はまだ僕の腕を離さない。さすがにもうそろそろ離してほしいなと思いながら、家まで歩く。
「ただいま」
家に帰ると、いつもならこの時間にリビングにいるなつがいない。
「千夏、先にお風呂入っちゃいなさい」
そういって、寝室を覗く。なつはベッドにちょこんと座っている。やっぱり落ち込んでいる。
「ただいま」
「千夏、どうだった?」
「どうだったって、自分が悪かったって反省してたよ」
隣に座って手を取る。
「あなたに対しては素直なのよね」
「君が話したって千夏は聞くと思うよ」
「……今日はかっとしてたたいちゃったから」
ここで目に見えて小さくなった。
「ごめんなさい」
たしかにちょっと力が強かったね、というべきかどうか迷う。
「明日ちゃんと千夏にも謝ってあげてね」
なつは頷いて、うなだれた。今回はどちらかと言えば、お母さんのほうが重症かな?僕はなつの肩を抱いた。
「そんなに落ち込むなよ」
「あなたがいないとわたしなんてダメ親だよ。娘の顔たたくなんてどうかしてるわよ」
「たしかに昭和的だったかな。最近の方法ではないよね」
そう言いながら思い浮かべる。自分がもし千夏の前にいて、娘がおもしろおかしく自分の出生について口にしたら、そのことについて自分が親として受けたショックを正しく娘に伝えられただろうか。もちろん注意はすると思う。だけど、その注意は千夏の心の深いところまできちんと親としての気持ちを伝えて、刻みつけることはできないだろう。僕では彼女の記憶に残らない、なつが今日彼女の心に残したような形では。千夏は今日痛みとともに母親の気持ちを感じることができたのだから。
「昭和的な方法も悪くないよ。俺じゃできない方法で君はちゃんと子供たちにいろいろなことを教えてるんだから、そんなに落ち込まないで」
この人は自分について時に無自覚だ。
「俺だって君がいなければ不完全だよ」
「慰めようと思ってわざと言ってる?」
「いいや、本気だよ」
僕はなつにキスをした。
「おかあさーん」
太一がいつのまにか僕らの寝室のドアを開けて、立っている。なつはぱっと僕から身を離して行ってしまう。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
別に悪意はないのだろうけど、息子はときどきこうやって僕の邪魔をしてくれる。