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読書感想文:徳川家康
山岡荘八の徳川家康は1950年から1967年まで新聞で連載された小説です。全部で26巻の超長い小説で、現在17巻を読んでいる。その中から一部を抜粋する。
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豊臣秀吉がなくなって、石田三成が朝鮮への遠征から戻って以降、対立していた武将たちに責任をとって切腹しろと迫られそうになり逃げて失脚した後、関ヶ原の戦いへと繋がってゆく間の出来事です。大阪を追われ郷里で家康に対抗して自己の勢力を伸ばそうと足掻いている時、加賀の前田を家康と対立させ我が味方に引き入れたい石田三成でしたが、そこを秀吉の正室であった高台院(寧々)が先手を打ち、前田利家の奥方のお松とつながり、前田と徳川が対立せず、いくさとならないように手を回した。その直後の場面です。
石田治部少輔三成、ここで治部とは三成のことです。
女は、色で仕掛け、妻としての立場を利用し、また、母としての立場を利用しことをなすというくだりになるほどと思った。この小説は戦後間も無くから連載が開始されている割と古い小説で、それだからか、女性についての描写がところどころ、まぁ、古いんです。
どうする家康での女性の描かれ方や、光る君へでの女性の描かれ方も、多分に現代の風潮を含んでいたなと思いながらこのページを読んでいました。
どうする家康では女が何度も主人である男にたてついて女が政治向きのことに口を出していた。光る君への中では、女は政治の道具として男に利用されて哀れであるというメッセージが込められていた。
これはあくまで持論なのだが、私は現代の風潮で過去の時代を書くのは反対なのです。別にけしからんと怒ってるわけじゃない。ただ、リアリティを求めてる、つまりは淡々と知りたいのです。戦国武将の奥方とは本当はどんな感じだったのかなと。
これは書くのも撮るのも結構難しいと思います。現代とは違う価値観の中にあるのだもの。ただだからといって、戦国武将の奥方が堂々と武将のまつりごとに口を出してるとなんだかなと思う。
現代であっても、日本人女性として口を出すなという無言の圧力は存在するし、それはつまらない現実なので、テレビドラマの中では、圧力は存在するがそれを跳ね返すヒロインが描かれ、その理想に現実世界のヒロインはスカッとするのだろう。しかし自分はそこで現実が見たいと思うマイナーな人間である。
結局は捻くれ者で、既成概念をひっくり返しまくってる。今、ひっくり返そうとしてるのは、女としての英雄とは男に屈しない人であるという現代の風潮である。
結論からいうと、男に屈しない女がいてもいい。しかし、別のタイプの英雄も書いてくれよと。もう少しいうと、現代の価値観で過去を切り刻み、過去の女はただ哀しいと書くのはあまりにオーソドックスで、もう古いと感ずる。おほん。
じゃ、光る君へは古かったのかというと、そうではない。あれはよかった。紫式部は偉い。時代を越える見方で女の哀しみを書いた。普遍を書くというのは非凡の才である。国も越えている。大石静さんの脚本もよかった。
私がいいたいのは、時代によって女の立場は違うが、その許される範囲内でそれぞれ必死に、また強かに生きている。哀しさを描くと同時にその強かさを描くべきだと言いたいのである。
私にとって一番微妙なのは、まるで現代の女の方が幸せであるというか、上であるというか、よく考えもせずに最初からそこに結論があり、その見方に沿って過去の物語の全編が描かれることである。
あなたは現代を過去と比較してから、これを書いたのかと言いたい。それがあるのであれば、私の感覚とは違うとしても、まぁ、よしとしよう。
男に屈しない女がいてもいい。実際にいるし、頑張っている姿を見る。しかし、女の全てがそうなれるわけでもない。メディアが何かそういう英雄の虚像を作ってしまうと、それにそぐわない人間は、なんとなく自分が規格外のような気持ちになることもあるだろう。ただ、世の中には今だけではなく過去から連綿と、女である立場を利用して、女の戦いをしてきた人たちがいる。
これは持論であり、皆が賛成をしなくてもいいのであるが、私は女は別に男と同じになる必要はないのではないかと思う。女には女のメリットがある。そこで勝負するのも一つの戦略である。
私たちの目的はよりよく生きることであり、男と同じになることではなかったはずだ。私はむしろ、女だから得意なことを女がして、男だから得意なことを男がして、どちらもその居場所というか立ち位置があればいいのではないかと思う。
ただし、こんなことは昔からわかっていた。上の数行は私のいうところの理想であり、現実はいつも理想には追い付かないものである。
汪海妹
2024.12.19