
長編小説:わたしの幸せな結末から_01
まえがき
一作目 僕の幸せな結末までを読んでない方、話がつながってますので先にそちら読んでいただけると幸いです。2作目先に読んでしまうと、一作目のネタバレします。
目次
宝物をもらう
2つの家に人は帰れない
最後の最後まで心を開く
魔法のことば
人生は平凡がいちばん
2つの夏
昭和的な方法
わけありの新人
奥さんの本気
元気な明るいお母さん
せいちゃんの手紙
男はふがいない
宝物をもらう
清一
「もしもし、せいちゃん?」
「なつ?どうしたの?」
夜、残業中になつから珍しく電話がかかってきた。この時間は携帯にメッセージ送り合うことはあっても、電話はあまりしない。
「今週末、そっち行っていい?」
「え?来週末じゃなかった?土曜は予定入っちゃってるけど」
取引先とゴルフの約束があった。
「家で待ってるから、いいよ」
「遅くなると思うよ」
「うん。わかった」
どうも声に元気がない。
「どうしたの?なんかあった?」
「うん。ちょっと相談したいことがあって……」
「何?」
「会ってから、話すよ」
仙台での勤務2年目。なつと東京と仙台に分かれて暮らすようになって2年目の秋だった。一時は仙台で就職すると言っていた彼女も、結局は東京で4月から仕事をしている。
僕が先に社会人になったときは、彼女もずいぶんやきもちをやいたけれど、(実際は学校での勉強は社会では何の役にも立たないと毎日言われながら追い回される日々で、嫉妬すべきことなんて何一つなかった)彼女が社会人になった今年は立場が逆転した。
東京と仙台を比べれば、刺激が多いのはもちろん東京で、今までは女子大で暮らしてた彼女も会社に入ってさまざまな年代の男性と出会うことになる。もちろん独身の男たちもいるわけで、そこで何か僕が望まないようなことが彼女の身の回りに起きているかもしれないと思う。離れているだけに心配。
女の人というのは、大体男の人はきらきらした美人が好きだと思ってる。それはもちろんそうなんだけど、美人というのはいいけれど疲れるもので、毎日一緒にいたいと思う対象ではなかったりする。結構高い割合で、男というものは安心できる女の子に惹かれるものだ。だから、なつは自分で思うよりは男の人にもてると思う。今までそういうことがなかっただけで。
そういうことが(僕以外の人と)なかっただけに、ほんのちょっと優しくされるだけで、なんかプレゼントをもらうとか、簡単なことがあっただけで、自分にはいろいろな選択肢があるんだなとか思って……。延々と一人でそんなことをこつこつ考えていると、寝られなくなったりする。ばからしい。
ああ、ほんとにこんなばからしいこと考えるくらいなら、彼女が仙台で就職するといったときに反対しなければよかった。かっこつけてばかみたいだったな。一体何年、こういう毎日は会えない生活を続けるのかな、自分で言っといてねをあげたくなってた、最近。想像するのと、実際に会えないのは違うものだ。それを学んだ一年半だった。
それにしても、いったい何があったんだろう。電話で言えばいいのに。電話で言えないような用件ってそんなにないような気がするんだけど。
「すみません。先輩、今度奢るんで。2次会勘弁してください」
ゴルフの後のアフターで、同じ部署の先輩に頭を下げる。
「なんだよ。お前、これも仕事だぞ」
「この通りです」
僕は両手を出して拝むポーズをした。
「彼女が東京から出て来てるんですよ」
「あの遠恋の子?」
しょうがないな、お前。今度焼肉奢れよ。普通だったら午後から飲み始めて、夕方あたりからはまたお店変えてだらだら行くコース。(たまにお姉さんのいるお店にいったりもする)久々に夕方で解放された。家にまっすぐ帰ると、なつがテレビもつけないでソファーにぽつんと座っていた。
「あれ?早かったね。もっと遅くなると思ったのに」
「どうしたの?」
やっぱりおかしい。隣に座ると、
「せいちゃん、あのね」
こちらをぼんやりとみる。
「落ち着いて聞いてね」
「うん」
「赤ちゃんできちゃったみたい」
しばらく反応できなかった。
「俺の子?」
なつの目が尖る。
「それ、どういう意味?」
あれ、なんか今俺おかしなこと言ったな。
「あ、いや、自分に子供ができるなんて想像したこともなかったから……。びっくりしただけ。深い意味はないよ」
ははははは。笑うしかない。ここはもう。なつはため息をついた。
「どうしよう?」
「どうしようもなにも、おろしたいの?」
「おろしたくはないけど」
「じゃあ、産めばいいじゃん」
なつは不思議な物を見るような顔で僕を見た。
「責任取ります。結婚してください」
「もう、せいちゃんたら、そんな大切なことすらすらと簡単に」
なつはあきれていた。
「別に、俺はいつかはと思ってたからさ。ただ、強いていうならちょっと思ってたより、早いかな」
なつはちらりとこちらを見た。
「いや、ぶっちゃけ、大分早い。俺、給料安いし、やってけるかな」
なつがもう一度ため息をついた。
「今回は諦めてもいいよ。子供はまた授かればいいことだし」
「それは嫌だ」
考えるより前に言葉が出た。
「どうして?」
「なつはそういう曲がったこと嫌いだろ。将来絶対後悔するよ。そんな君を見たくない」
彼女はじっと僕を見た。
「本当にそれでいいの?」
「いいよ」
僕は彼女を抱きしめた。彼女はそっと両手を僕の背中に回して、耳元で囁いた。
「本当にわたしでいいの?」
この娘はまだそんなこと言っている。
「なつこそ、玉の輿狙えなくなっちゃうね」
「これは、もう、しょうがないね」
「もう少しかわいい言い方ないの?」
「なんて言ってほしかったの?」
「昔は玉の輿願望なんてないって言ってたじゃん」
「そんなこと言ってたっけ?」
ちえっ。僕は彼女にキスをした。ふと思い出す。
「そういえば、妊娠中ってセックスできないんだっけ?」
「よくわからないけど、よくないんじゃないかな?」
「じゃあ、今晩もだめなの?」
「そうなるね」
僕は彼女の肩に顔をうずめた。そうか、久しぶりに会ったのに。
***
「スーツじゃなくてよかったのに。何回もあがったうちじゃん。みんな見たとたん、なんかひくと思うよ。せいちゃんがスーツで来るなんて」
「でも、大事な挨拶する日だし」
昨日の今日だったけれど、なつの家に挨拶に行くことにした。仙台と東京に離れている不便さを考えると時間がない。赤ちゃんは大きくなるのを待ってくれないだろうし。僕の部屋から車でなつの家へと向かう。
「もしかして、緊張してる?」
僕は答えなかった。
「よく知ってるじゃん。お父さんもお母さんも。それでも緊張するの?」
「よく知ってるから余計緊張するのかも。俺、話している途中で舌噛みそう。今日」
「声、裏返ったりもする?」
「するかも」
「いやだ。そんな一生思い出に残る日なのに、せいちゃんが声裏返ってるかっこ悪い姿なんて記憶したくないよ」
なかなか手厳しい。
「俺、今日おじさんに殴られちゃったりするのかな?」
「ドラマみたいに?」
「ドラマみたいに」
彼女は少し考えた。
「責任取るって言ってるのに、殴る必要ある?」
「平成はもうそんな時代じゃないかな?」
「そんな時代じゃないよ。それは昭和だよ」
***
「清一君、今日は仕事でもあったのかい?」
おじさんはいつものような優しい様子で話しかけてきた。
「珍しいわね。お盆でもお正月でもないのに揃ってくるなんて」
おばさんがお茶ののったお盆を手にしながら部屋に入ってくる。僕はソファーに座りながら、ソファーに座ったまま頭を下げるのか、それとも、ここは床に土下座すべきなのかを悶々と考えていた。
おばさんがお茶をテーブルに並べて、おじさんの横に座り、茜ちゃんが右手にいて、なつは僕の横に座っていた。
「今日は、おじさんとおばさんに改めてお話が……」
え?という感じで場が固まるのが分かる。僕は冷や汗をかいた。
「お嬢さんを夏美さんを僕にください」
そう言って、頭を下げた。なんとか言えた。あともう少しでくださいませんか、と言ってしまうところだった。誰も何も言わない。恐る恐る顔をあげると、みなぽかんとしている。なつが咳払いした。おじさんが夢から覚めたように動き出す。
「その、ちょっと早すぎないかな?夏美はまだ大学卒業したばかりだし、折角就職だってしたんだし」
おじさん、ごめんなさい。女親はともかく男親は、娘に彼氏がいたとしても、目の前をそいつが娘と一緒にふらふらとしていたとしても、娘はまだ結婚していないし、そういういことはきっとしていないと信じているのだと思う。だって、彼氏のいる娘や彼がお父さんに向かって、今日はこんなことやあんなことをしました、なんてわざわざ報告するわけないから。だから、ほんとうにもう逃れられない物証をつきつけられるまで男親というのは娘の潔白(=純潔)を信じている、或いは信じたいものなのだ。どんなにそれが非現実的な妄想であっても。その夢を今、壊します。
「その、じゅ、順序が逆になってしまいましたが、実は夏美さんのお腹に……」
いろいろごちゃごちゃ考えていたら、噛んでしまった。
「え!うそ!赤ちゃん?」
茜ちゃんがおっきい声を出した。みんなが一斉に彼女を見る。
「なに?わたしなんか間違ったこと言った?」
おじさんは、爆撃を受けた人のように呆けた。
「なっちゃん、本当なの?」
おばさんの問いかけに、なつはこくんとうなずいた。
「病院で調べてきたから間違いない。3か月だって……」
「やった~。おめでとう。お姉ちゃん」
茜ちゃんがまたフライングをする。
「茜、あなたちょっと騒ぎすぎよ」
おばさんがたしなめる。
「ちょっと、あなた、しっかりしてくださいよ。何か言ってください」
おじさんは、宇宙のようなところからかろうじて戻ってきた。
「すみません。僕もちょっと早すぎるとは思うんですが……」
僕はソファーを降りて、スリッパを脱いで、床に座って頭を下げた。
「ちょっとせいちゃん」
なつが驚いて僕を止めようとした。
「結婚のお許しをいただけないでしょうか?」
よくわからない。どうして、汚い床に下りて頭をこすりつけたのか。誰もそこまでしなくても怒らなかっただろうし、おじさんは僕を殴らなかっただろう。だけど、なつと結婚するために汚い床に頭をこすりつけるくらい僕は平気だった。だから、そういうものを見せたかったのかもしれない。へらへらと当たり前のように、子供ができたからって、簡単におじさんの宝物をもらっていくわけじゃないです、僕は。
なつが座りこんだ僕の横に並んで正座したのが分かる。おばさんがあわててクッションを彼女のひざ下にあて、体冷やしちゃだめだってば、なっちゃん。という。
「この子はちょっと頑固で気の強いところがあって、ときどき融通がきかないんですが……」
おじさんは口を開いた。
「はい」
「でも、そうなるときはちゃんと理由があって、それも、人を傷つけたりただただわがままな理由で、そういうことをしているわけじゃないんです」
「はい」
「そういうこの子の厄介な部分も、清一君ならきっともうわかっていると思うので……」
僕は顔をあげた。
「大切にしてあげてください」
ちょっと寂しそうな顔していた。
僕は知っていた。子供の頃から近くでなつの家族を見てきたから。ぽんぽんといろいろなことを言い合うおばさんとなつの横で、基本的には穏やかにそれを眺めていて、たまに口を出すおじさんが、どれだけ娘を大切に思っているか。家族を大切にしているか。
だから、それを人の手に渡すのがどんなに……。
なつがそっと手を貸して僕を立たせた。
「パーティーしようよ。パーティー!」
茜ちゃんが空気を破る。みんなでちょっと笑った。
「ごめん。茜」
なつが申し訳なさそうに言う。
「夜は夜でせいちゃんのご両親と約束しているのよ」
「え~」
「また今度ね」
***
「夏美さんのご両親はわたしたちが離婚していることは気にされないのかな?」
父さんは一通り事情を聞くと、自分たちの離婚のことを口にした。僕はなつを見た。なつは僕をちらりと見てから言った。
「うちの両親なら大丈夫だと思います」
「そうか。それならよかった。清一、夏美さんおめでとう」
母さんは父さんの横で穏やかに微笑んでいた。あっさりしたものだった。2人ともこんなに早くこんな話が出るとは思ってなかったらしく、(というか僕だって昨日まで考えてなかった)ずいぶん驚いていたが。
なつがトイレに立ち、父さんが会計(自分が払うといってきかなかった)に出て行ったときに、母さんが口を開いた。
「結婚式はどうするの?」
「まだ、そこまで考えてないけど」
「籍入れるだけで済ませたりしちゃだめよ。結婚式は女の子の夢なんだから」
「そうだよね……」
いくらかかるんだろう?結婚式って。普通何年か貯金してからやるもんなんじゃないの?
「お金足りなかったら貸したげるわよ」
「本当?」
「母さんの老後資金なんだからちゃんと後で返しなさいよ」
渡りに船とはこのことだ。母さんが今日は女神か観音様に見える気がした。冗談じゃなく。
「清一が父親になる日が来るなんてね。長生きしてみるもんね」
「自分でも信じられないけど……。ちゃんとやっていけるのかな」
自分が父親だなんて、なんか違和感がある。母さんはぼんやり僕を見た。
「誰でも最初は不安に思うものよ」
そう言って慰めてくれた。