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後ろからついていくのが好きだった

息子が歩き始めた頃、主人と3人で散歩をする時、私は二人の後ろからついていくのが好きだった。よちよちと歩く息子と主人を少し離れたところから映画を見るように眺めるのが好きだった。

よちよち歩きの子供は必ずすぐに親に向けて両手を伸ばす。主人が息子を拾って、抱き上げると息子が小さなおもちゃのような手でしっかりと主人に抱きつく。

その画を今でもずっと忘れない。ぎゅっとしがみつき、ピッタリと父親にくっつき、これでもかというほどにほっとしている息子の様子が、そのおもちゃのような手も、柔らかな頬も、全てを父親に委ねているあの全身も、些細なものも全て覚えている。

時は流れてつい最近のことだ。

「あ、こんなところに無印できるんだ!」

狂喜する私の横で息子がぼそっと呟く。

「順電がなくちゃったんだよ。お父さん、がっかりだね」

家の近所のそのモールには順電というエメラルドグリーンの電気屋さんがあった。特に買うものがなくても主人は必ずそこにより、主にアップルのスマホとか、iPadとか、パソコンとか、一旦入ると出てこない。私はそんな時、さっさと主人を置いて帰ってしまうのだが、息子は付き合うのである。

それが、いつの間につぶれたのやら、やはり今はEコマースの時代?店頭販売はコストばかりかかって実利がないのかも。

「お父さん、悲しい?」
「ええ?」

傍にいた父親の腕を掴んで息子が聞く。

「お母さんは嬉しい」
「お父さんに聞いてるの」

エメラルドグリーンがえんじ色になっちゃって、カミングスーンの前で、息子が父親を案じる。

「写真撮るよー」
「なんで?」
「いいからこっち見て」

えんじ色の前で父子でならぶ。

「あれ?あとちょっとで追い越すじゃん」

あんなに小さかったのに、君は母を追い越した。今度は父も追い越すか。別に記念日でもなんでもない普通の日。あえていうなら、私の好きな無印が、近所のモールに開店すると知った日。自分は入らない記念写真を送って海を越えた日本の実家へと送信する。

後日、その写真をつくづくと見て、あれと思う。父親のよこに怒ってるわけでも、かといって笑ってるわけでもない無表情に立つ息子。横の主人が今まで見たこともないくらい幸せそうな顔で笑っていた。

その笑顔は初めて見た。
ずっと長く一緒にいるけれど、この人笑顔が変わったなとまるで初めて会った人を見るような目で主人を見た。

そして、悟った。

子供を持ち、月日は飛ぶようにすぎ、私たちは、愛を与え、自分の時間を与え、稼いだお金を与え、そんなふうに色々なものを息子に与えて生きてきた。

そして自分たちは歳をとった。年月は我々から若さを奪い、そして、美も失った。若い息子の横に立つと、その差も歴然というか、これからいよいよ息子には負けるばかりである。

親ってそういうものじゃないだろうか。海の中に立つ岩山のようだ。来る日も来る日も海の中に突っ立ち、ただ流されないように歯を食いしばって生きる。波に削られて、色々なものを失う。

それなのに、こんなに幸せなのか……

主人の笑顔は今まで見た中で一番、心から幸せそうに輝いていた。それは眩しくて目を逸らすような笑顔ではなく、まるで川を流されてゆく灯篭の灯のよう。胸に染みる。

親というのは奪われてもなにも失わない、そういう生物なのだと思う。何もかもを失っても、それが子供に与えたがために失ったのであれば、幸せ。

何もかもなんて言ってそりゃ本当に何もかもを与えるわけじゃないんだけどさ。そんなことしたら死んじゃうわけだし。

しかし、そんな場面が来ないだろうから、まぁ、証明はできませんが、この子のためだったら死ねる。生まれて初めてそう思った相手だ。そんな感情がこの世に存在すると私に教えたのは君だ。

人はきっと真ん中が空洞の木のようになりながら生きていくのだと思う。うろというやつだ。子供に分け与えて、親は体の中がうろのようになってく。他人が見ていると、なんと無駄というか、損な生き方に見えることか。

他人から見たらそのうろの中には何もない。もとあったものが奪われて、空っぽになってしまった。しかし、奪われる経験をした人はきっと知っている。

愛とは与えるものである。愛を与えたために空っぽになってしまったところには、幸せが残る。それは目に見えないし、触れられないものなのだ。

あなた幸せそうね。息子の横に並んで

家族のグルチャに写真を送り、日本語でメッセージを送った。主人と息子からは反応がなく、その代わり姑がメッセージを入れる。

这父子俩照的相。很好啊(この親子の写真似てるね。いいね!)

よちよち歩きだった我が子が抱き上げられ父親の肩で安心している様子を眺めながら、後ろからついていくのが好きだった。映画を見るようにそんな場面を眺めていた。そんな君が今はお母さんの背を追い越して、お父さんの背も追い越そうとしているのか。

そんなに遠くはない未来で、お父さんもお母さんもあなたを見上げながらニコニコしていると思う。負けても悔しくなどない。それが親というものである。

汪海妹
2024.11.06

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