介護=ケア?
お立ち寄り頂き光栄です
前回の投稿で、介護に向き合うには
実は「介護が必要になる前に集約される」と結んだ
理由をいろいろな角度から解いていきたいと思います。
今回は先ず介護サービス提供側のコストについてから触れていきます
前回のお話はこちら
https://note.com/calm_azalea79/n/ne6487ce72103
今回のもくじ
「介護」と「ケア」
誰が負担するの? 質とコスト
現状の認識
まとめ
①「介護」と「ケア」
今回は、「介護」と「ケア」という観点
「介護」をカタカナ化すると「ケア」と
いうのが一般的になってきました。
〇〇ケア、ケアサービス○○などの社名多いですからね。
僕はこれいつも、んーーーてなります。
careを和訳しても介護にはならないのにね。
気にかける、気にする、心を寄せるそんな意味なのに
実質的な「介護」という言葉からはかけ離れてます。
そもそも最初に介護をケアと表現し始めたのは現場側なのかな?
自分たちが行っているサービスをどう表現してイメージ付けるかというところに発端があったのかなと想像します
(これは以下の論文も参考にさせて頂きました。
なるほどという背景を丁寧に解説されたうえで、
鋭い考察だと感じました)
【※高田短期大学 介護・福祉研究 第7号 2021 千草 篤磨著】https://www.takada-jc.ac.jp/files/campus/fukushi/r02kiyou-01.pdf
話を戻します。
おそらく制度設計をした厚労省側の思惑はそうではなかったのでしょう。
高齢者の身体的、精神的に必要とされる支援であり
自立した生活を営むためのお手伝いが介護です。
という感じ。
厚労省が制度上定義するサービスへの対価はそれを根拠にしていて、介護保険制度において報酬として支払うというものです。
一方、現場ではケアを質として捉え、
厚労省の求める介護に付加価値を付けているといっても良いでしょう。
つまり制度上の「介護」と「ケア」は同意ではないのだと思います。
② 誰が負担するの? 質とコスト
ここでひとつ問題が出ます。
現場は懸命にケアを追求し、厚労省は設計した「介護」を根拠に報酬を支払う構造において、ケアが報酬からはみ出すものであった場合
だれがそれを埋めるのか?です。
これ、事業運営者の運営努力、スタッフの善意という危ういバランスの上に成り立っているのです。
天井がないビジネスモデルであれば
サービスの対価を自由に設定できるのでコストは合わせられます。
しかし天井が設定されている報酬制度上はコストが合いにくいのです。
無論財源が税金なので、必要最低限のサービスを求められていると理解
していますが、実際に介護が必要な方々はそうは思ってくれません。
必要なのは介護(ツール)で、求めるものはケア(質)だったりします
炎上したくないので書いておきますが
私も実践の場にいる身であり、
ケアを担う方々を卑下するつもりは毛頭ないことは前提としておきます。
公金ベースなら、質で世に還元してくれという声もありますが
質を担保するにもコストはかかります。
民間参入の自由度を上げたことで競争原理が働くのは
ビジネスとして業界を見るととても良いことです。
一方でもしかすると制度設計を担った聡明な方々は
ケア業界特有の善意も計算に入れていたのかな?
と思うと鳥肌が立ちます。
③ 現状の認識
長くなりましたが
つまり僕の介護業界に対する現状理解は
『決められた制度の中で、ケアという付加価値的サービスを限られた報酬の中からやり繰りしている』であり
介護保険制度にしっかりと則っていけば、少ないながらも
利益性は担保できるが、ケアを考えるとどこまでも善意に依存するので
バランスがとりにくいというものです。
④ まとめ
まとめると
・介護は制度=ツールで、ケアは質といえるかも
・質(ケア)は定量化が難しいので、定量化できないものに
予算はつきにくい
・質の良さを捉えるのは個別性が高い事案である
定量評価が難しく個別性が高い本質的なものを充足するには、
実はそこに至る過程から、起こりうる状況をどう受け止めていくか
になるし、受け止めたうえでどんなツールを使うか?
になってくるのです。
あ、少しだけ「介護が必要になる前に」につながったので
今回はここまで。
待ったなしの高齢化、どうやって乗り越えましょう?
色々なご意見を伺えたらうれしいです
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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