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「正しい」を”追求しない”強さが欲しいと思った話

人の意見に、左右されやすいんですよ、わたし。

「絶対に正しい」ことなんて、ないと思ってるんですけど。そのうえで、自分がどう思うかどう行動するかが大切なのであってね。

「わたしはこう思うなぁ」
と意見があったとしても、人から
「いや、そうじゃない。〇〇だから××だ」
そう言われると、「あー、そうかもね」って、日和っちゃう。

わざわざ論破するほど、強く考えてないし。
そのくらい譲ったって、別にどうともしないし。

そう思うんだけど、そのたびに心がザワザワするんですよね。相手の言うことが、正しいとか正しくないとかじゃなくて。
どんな意見があっても良いはずなのに、当たり前なのに、なんでこんなにわたしは揺れてるんだろう?って。

「わたしの意見はこうだけど、あなたはそう思うのね」
それだけの話なのに。


何故か分からないけど、わたしは「軸があるよね」「芯がある」と言われることがあります。
そのたびに「え?そんなもん無いけど?」と思うんですよね。人から言われた何気ない一言で、簡単にブレるくらいなのにって。

でも思い返してみると、相手の意見に納得ができればそのまま乗っかるけど、「やっぱり違うんじゃないかな…」と思った場合は、ゆらゆらぐるぐる悩みながら、けっきょく同じ意見に戻ってる……ような気がする、かも?単なるガンコ頭と言えなくもないけど(笑)

やじろべえみたいに、ゆーらゆらしながら重心を取っていくみたいな。

あー、もしそれが「軸がある」と言うことに繋がるのであれば、ちょっとしたことでブレないくらいの強さを持てると良いのにな。
思考の浅さにコンプレックスがあるのも、その辺のことと同列なのかもしれないと思ったのです。

自分の中で物事を突き詰めたうえで決めたことなら、誰に何を言われても受け止められるくらいの器の大きさが欲しいなと。
もちろん、聞く耳を持つことは忘れないようにして。



影響されやすいんだけど、いろんな意見を読むのは好きなんですよ。ヤフコメとかレビューサイトとかもね。
だからもちろん、noteを読むのも大好き。
今日もまた、「わたしの常識」をひっくり返される記事があるかも?
……と、ドキドキしながら、あちこちnoteを見て回るのでした。

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