間違ってる考えなんてない。
「この考え間違ってる?」
って聞かれたら、基本答えは
「間違ってない」
だと思う。
「この考えで問題ないですか?」
って聞かれたら、基本答えは
「わからない」
になると思う。
(これは実際にはきっと自分の意見をいうけども。)
決められた理論的な正解があるもの以外では、どれかの考えが合っている、間違っている、なんてことはない。
何かについて考える内容は自由だし(表現には制限はあるけども)、持っている背景や知識経験によって、同じことについて考えても出てくるものは違うものだし。
その人はそう考える、その人はそう感じる、その人にはそう見える、というだけ。
その人にはそれが正しい、これがいい、というだけ。
もちろん、その場や組織でのルール、その業界での常識、みたいなのがあって、仕事上とか立場上とかでこう考えるべきだ、この考えをとったらいけない、とかはあるけども、個人としてどう考えるのかは別の話だと思う。
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だから、合ってるかどうか、とかでなくて、理解できるか、とか、共感できるか、って言われたら、わかった、わからない、とか、自分もそう思う、思わない、とか答えられるんだけど。
合ってるか間違ってるかっていうのはなんともいえないと思ってしまう。
細かい状況など聞いて、その状況では一般的に合ってるかどうかっていう話なら、多分一般的にはこうだろう、とか言えるかもしれないけども。
仕事などでも、この考えで合ってるかって聞かれても、答えなんてないなって思う。
何かルールや標準のやり方とかがあるものについては合ってるか間違ってるかって決められるけど(でもそれさえも、そのルールややり方がほんとにそれでよいのか?って疑問も持ったっていいよね?)、誰かの判断仰ぐようなものからその相手でないと何が正しいとされるかなんてわからないし、話し合いの場に持っていく意見だってどう受け取られるかは相手によるし。
私がどう考えるか、というなら答えられるけど、それでいいと信じてやってみるのだけど、それでいいか合ってるかとかはほんとにはわからない。
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答えなんてないものなのに、わからないものなのに、なんで、合ってるかどうかって気になるんだろうなって思う。
自分で考えるしかないのに、なんで答えらしきものを求めるのだろうと思う。
そう言いつつ、やっぱり自分も同じように、自信がなかったりほかにもっと何か知ってそうな人がいたりすると、考えを聞いてみたくなるけども。
それでも、人に聞いたり調べたりなんかしたとしても、それを信じるかどうかも含めて、結局自分で決めることなんだよね。
合ってるか間違ってるか、いいかよくないか、でなくて、合ってるようにできるか、いいというようにできるかっていうだけだよね。
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