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余裕を持つために大切なことって?

最近わたしがよく使う言葉の一つに「余裕を持つ(持ちたい)」というのがあります。

まぁ、言うのは自由なんだけど、言葉を軽率に使いすぎてやしないかな? と思っちゃったわけです。
そもそも「余裕」ってどういう意味で使ってんだ、と。


で、考えてみたわけです。
どんなときに「余裕がない」と思うのか。
どうであれば「余裕がある」のか。

んー、例えば
・人からものを尋ねられたとき
  余裕ない⇒「めんどくさいなぁ」と思う
  余裕ある⇒「はい、どうぞ」快く答える
・人から指摘を受けたとき
    ない⇒イラっとする
    ある⇒「なるほど、ありがとうございます」
       感謝の気持ちが出る
・誰かが上手くいったのを見たとき
    ない⇒「たいしたことないじゃん」妬む
       「どうせわたしなんて……」ひがむ
    ある⇒「すごーい! おめでとー!」喜べる

こんな感じかな?

単純にざっくり分けると、ネガティブポジティブかになると思うんだけど、もう少し考えてみると「いろんな状況や人を受け入れられるかどうか」なのかなーと。


「なんでも受け入れられる広い心を持つ」っていうのとは、ほんのちょっと違う気がするんですけどね。
だってそれだと、「全てを許容する、許す」みたいな感じじゃないですか。
「許す許さない」とか、そんな大層な話はしてなくて。


「なるほど、あなたの意見は〇〇なんですね。ちなみにわたしの意見は△△です」
否定でも対立でもなく、相手の意見を受け入れた上で、自分の意見はどうなのか答える、みたいなね。


とすると、結果
「余裕」=「受け入れること」
なんだろうなと。
あくまでもわたしの定義です。


うんうん。
仮に「イライラする」場合、それは相手を排除していることになるからね。「受け入れてない=余裕がない」ということなんだろうな。


で。
じゃあどうすれば「余裕を持てる」のか。
答えは簡単。
単に疲れてるだけなので、ゆっくり休めばいいのです。

「余裕を持ちたい」と思うってことは、「余裕を持つ」素養(あるいは種)を持ってるということになるので。ホントですよ~。持ってない人は、そもそもそんなこと考えたりもしませんからね。


そんなわけで、心底余裕を持ちたいわたしには、お休みが必須ということになるのです。
あ~、一ヵ月くらい、ゆっくりお休みできたら、余裕も生まれるのかな~。


それでは今日も一日お疲れさまでした。
お休みなさい。

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