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内務省について(法政大学2024)

問題

内務省の説明として誤っているものを,以下のア~エのなかから一つ選び,その記号を解答欄にマークせよ。

ア 全国の警察を統轄した。
イ 地方行政に関する事務を管理した。
ウ 土木に関する事務を管理した。
エ 1945年に廃止された。








解答

解説

内務省は1873年に設置され、初代内務卿には大久保利通が就いた。
ほぼ同じ時期の1870年に工部省が設置され、初代工部卿には伊藤博文が就いている。

どちらも殖産興業政策を担うために設置されたものであり、その管轄は、
内務省…軽工業(製糸・紡績業)
工部省…重工業(鉄道)
であった。
ちなみに工部省は1885年に農商務省と逓信省に分割されている。

さて、内務省のイメージはどのように考えたらよいか。

ずばり、「国内の統治(治安維持)」だ。

国内統治には地方自治も含まれる。
具体例を確認しながら選択肢を考えよう。

アであるが、警察制度をおさらいしよう。
1871年に、邏卒を設置する。「邏」という字は「見回る」という意味の漢字であり、見慣れないと思うが実は身近な漢字でもある。
現在、警察官がパトロールすることを「警ら」と呼ぶが、この「ら」が「邏」である。残念ながら常用漢字ではないのでテレビやニュースでの表記にはひらがなとなっている。
「卒」という字は「下級兵士」という意味である。武士は四民平等によって士族に編入されたが、足軽などの下級武士は一時期「卒」にジャンル分けされた。
つまり、邏卒とは「見回りをする下級の軍人」という意味になる

ちなみに「卒」という漢字から思いつく単語として「卒業」が思いつくであろう。なんとなく良い雰囲気を纏ってそうな単語であるが、そんなことはない。
卒には「死」という意味がある。日本では身分によって「死」に対する表現方法が変わる。有名なのは天皇が亡くなったことを表す「崩御」という言葉であろう。これは天皇という身分にしか使われない。その他、五位以上の官人(一般に律令制において貴族と呼ばれる範囲(通貴))の死に対しては「」という字が使用され、薨去と呼ばれる。そして五位以下の官人の死に対しては「」が使用される。一般人にはシンプルに「死」という表現になる。
つまり、卒業という単語の「業」が仏教的に現世での生業や因果のことを指すのであれば、「この世から居なくなる」という意味になる。文字通り「この世から卒業」である。

話を戻そう。その後、薩摩出身の川路利良によって警察制度は整えられ、1874年には内務省管轄の東京警視庁が発足した。

エとも関わってくるが、内務省が戦後にGHQの指令で解体されたのは「戦前の弾圧政策を指揮していたのが内務省」であったからだ。
例えば、鳩山一郎は戦後に公職追放にあうが、その理由として引き合いに出されるのが滝川事件である。滝川事件とは1933年に発生した、滝川幸辰の『刑法読本』を国家破壊の思想(マルクス主義的思想)だとして内務省は発禁処分などの弾圧を行った。さらに文部大臣の鳩山一郎はこれにとどまらず、滝川を休職に追い込んだのである。

以上の様々な事件や弾圧を念頭におけば、内務省が警察を統括していてもおかしくはない。

イであるが、これは内務大臣山県有朋の下で1888年に市制・町村制が制定されたことを想起できれば迷わずに外せるであろう。
ちなみにこの市制・町村制制定に協力したお雇い外国人はモッセ(独)である。大日本帝国憲法制定に協力したお雇い外国人のロエスレル(独)と混ざらないようにしよう。

アの選択肢の際に説明したが、内務省は全国統治の要のような存在であるが故、大きな権限をもっていた。
例えば、1898年に第三次伊藤内閣の地租増徴案に反対して民党側の自由党と進歩党が合同して憲政党が組織され、第一次大隈重信内閣が成立した。この時、板垣は内相の地位にとどまったわけだが、これは板垣が望んだためであり、板垣は内相というポストの重要さをよく理解していたと考えられる。
この内閣は最終的に旧自由党系と旧進歩党系の内部分裂によって崩壊するが、憲政党という名称は旧自由党系が引き継ぐ。これは、政党の名称を登録する権限を内務省が握っていたためであり、内相が自由党系の板垣であったからこそ自由党系は憲政党という名を独占することができた。

ウであるが、判断に迷うであろう。内務省の管轄は、これまで説明したように、地方行政と治安維持である。地方行政という点から「土木」も関係すると類推できなくもないが、エを確認してからのほうが良いだろう。

エであるが、確かに戦後になるとGHQの指令で内務省は解体される。
問題は時期だ。1945年に東久邇宮稔彦内閣が成立するとGHQは内閣に対して人権指令を含む政策実行を命じる東久邇宮稔彦内閣はこれを実行不可能として総辞職、幣原喜重郎内閣が成立すると、GHQは五大改革指令を命じた。この中に「圧政的諸制度の廃止」が含まれている。これは弾圧政策の解除を意味しており、即座に政治犯の釈放・治安維持法・特別高等警察の廃止が行われた。

その後、民主化政策が行われていくが、基本的には「1947年」の年に様々な法整備がされると理解しておきたい。

例えば、地方自治法、警察法、大日本帝国憲法、教育基本法、学校教育法、労働基準法の制定、刑法・民法の改正、というように1947年は様々な整備がいっきに進む年だ。
裏技的な考え方だが、「戦後改革の法整備などがいつ行われたかわからなければ1947年と考えた方が、正答率が高い」ということになる。あくまでも裏技である。
なのでエを誤文と考えたい。

ちなみに内務省の解体は地方自治法制定に伴って解体された(1947)
その他の例外として理解しておきたいのは、
衆議院選挙法改正(1945)、労働組合法(1945)、労働関係調整法(1946)、教育委員会法(1948)、刑事訴訟法の改正(1948)である。これらは個別に覚えておこう。


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