今日の一福
2024/03/22
犬の重みで目が覚める朝。
朝ならまだよし。
夜勤に備えて少々でも横になりたい。そんな寝入り端に5kg超過がドシッとくる。
はじめは腹にON。徐々に胸までほふく前進。しまいにはわたしの頭蓋に尻をピタリとつけてすまし顔。宙に向かってわんわんわんわん。
さすがに堪える。
コッチの狸寝入りにも限界がある。
腹が立つというより笑けてたまらん。
かえって冴えるから困りもの。
それにしても犬の目的が全然わからん。ごはんでもなければお散歩でもない。そもそもお散歩は大のお嫌い。仕方なくオモチャであやしたところで返ってくるのは白けたお顔。それどころか鼻息であしらわれる今日。わたしがまるでアホのようだ。
そのくせコッチが起きれば、うつらうつら。
用は済んだとばかりにコタツIN。
あとはわたしがなにをどう構おうが「わん」とも「すん」とも反応なしぞ。シッポのひとつも振りやしない。
なに。
なんなの。
あんたはわたしはどうしたいのか。
自分ひとり起きているのがそんなに嫌か。さみしんぼか。かまってちゃんか。デレかつツンか。わんわん泣きたいのはわたしの方だ。
他になんぞ言い分がおありなら聞く。聞かせていただく。お願いだからなんとかおっしゃい。犬に無視されるとか、さすがのわたしでもこころが折れそう。
こいつはマズい笑えないぜと、自分で書きながら焦り始める。もはや病。疲労と言ってまかなえる範疇をとっくの前に超えていたのだ。その自覚をしっかり持つべき。今こそ自分自身と向き合う最終局面。
これはもうちゃんと叱るか。
ガツンと言ってわからせるか。
いやいやそれとも冷静に話し合って然るべきか。
いずれにせよタイミングが全然つかめん。あのキャラもつかめん。わたしはいったいどうしたもんだか。そうやって8年きたもんだから後の祭りか。
であるならばわたしが責任とって腹をくくるか。コッチがどうこう言おうがギャン泣きしようがまったく動じない犬のほうこそ、むしろ尊敬に値するんじゃねーかと、結局すごく思い始めた。
そうだ。そうとも。そうだったのだ。
はじめが肝心。けじめが大事。
それがどんなに親しい間柄でも、この上なく愛しい存在だとしても、生涯の大恩人だとしても、なにがなんでも。
そうだからこそ互いに尊重し合ってしかるべき不変の境界をはっきりくっきり明示しておければよかった。なんでもよしよし、いいよいいよは愛のようでとんだ錯覚。
この共依存の沼に首までつかってあえいでみる絵も無残なようで、当人らにとっては甘美とくるから救えない。ハマッたが最期、這い上がるのは至難の業よ。ザマぁないがこれも一興。どこまで沈むか、いっそ試してみるのもありはありかね。
抱き合って死ぬより仕方がないねと、わたしはテレビを横目に犬を撫でる。