『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』を読んだらなんか感動した
こんにちは、ゆきのです。
『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』という本を読み終えて、長年の悩みが解決されたような気がして嬉しかったので、まとめやら感想やらを書くことにしました。
本書を手に取ったきっかけは、長い間私の読解力は人よりも乏しい方だと認識しており、読解力を身に付けたいとどこかぼんやり思っていた時に出会ったからでした。
なお、読解力が乏しいと感じる根拠として、学生時代では現代文の(特にセンター試験用の)問題集や模試、試験で苦戦していたこと、大人になった今も本を読む時にはっきりとその本の狙いや意図などが分かっていないという感覚がずっとあることです。
私自身の読解力の乏しさに嫌気がさしつつもどうしたらいいか分からないことへの悩みと、もう1つの悩み(こちらは後述します)を抱えながら本書を読むことになります。
前置きが長くなりましたが、それでは内容のまとめと感想を綴っていきたいと思います。
本書には「わかったつもり」が体感できる文章がいくつか掲載されています。
手始めに、第1章に『もしもしお母さん』という短い文章を紹介しています。一読した時に感じたことは、「わからない点は特にない」と思い、これ以上の理解を深めたいとはなりませんでした。ああ、よかったという感想で終わってしまったのです。
一読した後に、子猫たちの性別や性格、貰われた先、話した内容について表を埋める作業をします。そこで、表を埋めてみると「わからない点」が出てきてしまいました。まあ、一部の猫の性格は本文に書いてないしわからないものは分からないからハテナって書いておこうくらいの気持ちです。しかし、表を埋めた後の解説を読み、母猫と子猫が電話で話した内容から子猫たちの性格を推測することができたのです。
私は無意識に「わからない点はなかった」ことにして、もうこれ以上に理解を深めようとしない、もしくはしたくないかのように大雑把に内容を「わかったつもり」にしていたのでした。そもそも、読みが不充分だった(※1)のです。まさに本書の狙い通りに、私は文章を読み終えて「わかったつもり」だったことが浮き彫りなりました。
次に、子猫たちの性別や性格、貰われた先、話した内容などの表を全て埋めて細かな部分が「わかった」上で、新たに「季節」や「言葉」という文脈を加えて読み直す作業が行われます。すると、大雑把に「わかったつもり」でいた初見の時からより鮮明に情景が浮かび上がり、「よりわかる」状態への変化を感じることができました。
もう1つ、第3章で紹介している『正倉院とシルクロード』という文章も言及させてください。こちらは、6分という時間でできれば2度読んでもらいたいという条件付きで読むことになります。しかし、文章を読み終えた時にはすでに5分が経過しており、絶望。精読しすぎたと反省しつつ、残りの1分でざっと最初から読み直しました。とはいえ、もちろん目が滑ってしまい何も頭に入りません。ただ、この1分で(5分の間にしっかりと読んだからまあいいか〜)と高を括ってしまい、目が滑っていても気にしていませんでした。これが、後々後悔することになるとはまだ知りません。
この文章を読んだ後に、読めているかどうか7つの設問に答えることになりました。本文を見ない形での解答です。しっかりと本文を読んで「わかった」認識があり、また特にわからない点もなかったように感じたので深く考えることなく解答できました。
この時は何も思っていませんでしたが、またしても第1章の時と同じようにしっかりと本文を読んで「わかった」と認識をして(=特にわからない点もなかったように感じて)しまったのです。第1章の時、その状態は大雑把に「わかったつもり」になっているんですよと気付かされて反省したはずなのに。ニワトリかよ。
そして、設問の答えと解説を読んでいると、今度は間違った読み(※2)をしていることがわかりました。ぜーんぜん答えと違う!!!!今度は騙されないと細かいところまで読んで「わかった」と思っていたはずが、またしても大雑把に読んで「わかったつもり」になっていたことがバレました。
この「わかったつもり」になってしまう読み方には、大まかに2種類あることが本書でわかりました。
解釈は間違っていないものの、「読みが足りない状態」(ここでは「不充分な読み(※1)」とします)・・・第1章の『もしもしお母さん』
「間違った読み(※2)」・・・第3章の『正倉院とシルクロード』
では、「不充分な読み」や「間違った読み」を引き起こす原因は一体何でしょうか。それは大きく分けると2つあるようです。
文章の構成に”魔物”が潜んでおり、読み手側で「①結果から」「②最初から」予測を立てて変化の過程を読み飛ばしてしまうことや、「③いろいろな」ものがあると認識した途端それ以上の追求をやめてしまうことで起こるミスリード
読み手側が持っている「ステレオタイプのスキーマ」や「当たり障りのないスキーマ」という”魔物”を無意識に使うことで、スキーマに合わせた文章の読み方をすることで起こるミスリード
これらの”魔物”によって、読み手側で予測がつくと読み飛ばしが発生します。また、読み手が文脈に合うように都合のいい解釈を生み出すことで、細かい部分の読みが不充分だったり間違ったりすることになるとのことでした。
以上の点から、私の脳内では、
文章を読んでいる時に文脈からある程度の内容を推測している
私が持っている「スキーマ」を利用して都合の良い解釈を生み出す
ことで、私なりに「わかった」状態を作り出し、勝手に満足して無意識に読み飛ばしていたのかもしれません。おまけに私にとって都合の良い間違った解釈付きで。本文を読んだ後は、脳内で勝手に満足しているのですから、「わからない点はない」と一見良いように見えて、「だいたいわかった気がする。」とこれ以上の理解を求めない姿勢を作っていたのでした。
すなわち、この姿勢こそが読解力の乏しさに繋がっていたのではないかと考えました。読解力を身に付けたいとあらゆる実用書やコラムなどを読み続けるも、都合のいい解釈をして読了したことに満足し(=「わかったつもり」になって)、そもそも読解しようとしていなかった(=「よりわかる」の状態を避けていた)のです。これは十分に反省しなければなりません。
本書を読んで、長年の悩みだった読解力の乏しさに関して解読されたような気がしました。そして、本書にはこの「わかったつもり」を打破するための方法も詳しく記されています。方法についてはnoteに言及しませんが、非常に有益な内容でしたので、気になる方はぜひ本書を手に取っていただければと思います。
そして、もう1つ学生時代に抱いていた悩み・疑問が、本書の最後にある”試験問題を解いてみる”という章でスッキリしました。
なぜスッキリしたのかという話をする前に、少しだけ自分語りにお付き合いください。
学生時代、国語のセンター試験用の問題集や模試を解くたびに、評論文は点が取れるのに小説文は全くといっていいほど点が取れませんでした。約10年前の記憶のため曖昧で申し訳ないのですが、確か当時の私は以下の点で悩んでいました。
本文中に正答が記述されている・もしくは正答が推測しやすい評論文とは異なり、小説文は本文に正答の表現があるというよりは、一文から作者の意図や解釈を汲み取る能力が必要だと強く意識していました。なぜなら、作者の意図や解釈として最も適切なものを選びなさい。という設問の正しい選択肢の内容と解説を見て、「本文に書いていない!本当にこれが作者の意図や解釈なのか!?私が汲み取った解釈と全く違う!」とショックを受けたことが多々あったからです。
また、選択肢の中から最も適切なものを1つ選びなさい。という設問に対する解答の解説を見ると、「この選択肢の内容が間違っているというわけではないが、最も適切なものというわけではない」「消去法でこれが正しい選択肢になる」という正答への導き方になんともいえない気持ちになりました。
本書を読んだ今では私の解釈に整合性があったかどうかは不明ですが、都合のよい解釈で読み、また頑なに正答となったその解釈を認めたくないという若気の至りもあり、今思うと恥ずかしさと情けなさで穴に入りたいくらいです。ただ、正答の選択肢の内容の解釈こそが唯一の正しい解釈になってしまうことへの疑問と、その正答を選ぶことができなかった私は本気で解釈の仕方を間違えているのだろうかと、当時は深刻な悩みとして捉えていたことは事実でした。
さて、本章の内容は試験問題を解いてみるというタイトル通り、大学入試センター試験の問題文と設問が紹介され、正しいと思われる選択肢を選びます。いまだに読解力に乏しい私は不正解の選択肢を選んでしまいましたが、やはり正しい選択肢にはどうも違和感が残るのです。正しい選択肢の内容は、本文にそんなことは書いておらず、正しい選択肢のような解釈ができなかったのです。
ただ、本書では以下のように解説、そして提言もしていました。
内容に整合性がとれている場合にはそれが「解釈」として認められると同時に、その解釈が唯一正しい解釈になるわけではないということでした。ただし、整合性がとれない場合はその解釈は破棄されなければならないとの注意も添えて。
よって、その内容で整合性がとれているうちは、その選択肢の解釈も”合っている”ため正答になるようです。もちろん私の解釈に整合性がとれなければ間違った読み・解釈になるのですから、整合性がとれるよう見直しをしなければなりません。ただ、正答が唯一の解釈ではなく私なりに解釈しても整合性がとれていれば、それは”合っている”解釈になり得るとわかった時は少し安心しました。
しかし、それでは問題に正解できません。そのため正答を見つけるコツは、選択肢通りの解釈にはならなくて違和感があったとしても、また本文にそのような記述がなかったとしても、本文の内容と選択肢の内容で整合性がとれているものを見つけると良いのかもしれません。または、整合性のとれていない選択肢を選び続けて消去法で残ったもの。
そして、おまけですが面白い記事を見つけました。
お〜!これすごく知りたかった!という内容です。要するに、書籍に載る文章は、編集者の手により意図や効果のある一文として選び抜かれた集合体であるということ。だからこそ、問題として問われる一文には必ずそこに意図や効果があり、編集者の視点がポイントになるということでした。
めっちゃ面白い。今までは私の解釈を押し通して不正解をもらい悶々とする日々を過ごしていましたが、これからは”編集者によって読者に正しく伝わってほしい意図や効果が入った文”を正しくそのまま汲み取ることができるように訓練しなければならないと強く感じました。
それは本書で紹介されていた不充分な読み、間違った読みを改善するための方法で、整合性のとれた正しい解釈(=意図や効果が読者に正しく伝わり、読み手側も正しく解釈できること?)ができるようになると信じたいです。
なお、こちらはどうやら記述式らしく(間違えていたら申し訳ありません)選択式になると選択肢の内容に出題者の解釈も入り込む可能性があるため、出題者の解釈も考慮に入れなければならず少し論点とはズレてしまいますが、選択式であっても編集者の視点は有効に使えそうです。
本書や上記の記事を読み終えて得たものは、アンタは都合の良い解釈をして勝手に満足して読み飛ばす癖があるから不充分な読みや間違った読みになるんだ!反省しろ!本書の方法を実践しながら、原作者の意図や狙いを正しく解釈できるように訓練しろ!ということでした。本当に、恥ずかしい限りです。
ということで、『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』を読んだら長年の2つの悩みが解消された気がしてなんか感動しました。特に後者の試験問題に関する悩みの方が、そういうことだったのか〜!と視界が晴れてスッキリしましたというお話でした。
PS. 本書を読んで勢いで書評を書いてみたものの、はたして本書を本当に読解できているのでしょうか。これも『わかったつもり』による書評になっていないか心配です。