「不祥事を起こしそうな人を検出することはできますか?」
雇用する側・される側双方にとっての幸せ
ごく稀にですが、私たちのところに舞い込む様々な企業の様々な依頼の中に「不祥事を起こしそうな人をあらかじめ検出できないか」というものがあります。が、当然のようにこのような依頼はお断りしています。
キャリパープロファイルには人のモラルや遵法精神を測る指標は含まれていませんし、そのような目的のために開発されたものでもありません。そもそも雇用者が被雇用者に向けて、そのような検定を行おうとすること自体が道義に反します。
私たちのキャリパープロファイルは、その人の「潜在行動力」を仕事に活かすために開発されています。その人が生まれながらに持っている内面的な動機を知り、それを仕事に活かしてもらうためのもので、そのことこそが雇用者・被雇用者双方にメリットをもたらすのです。
不祥事の原因を作るのは、人ではなく組織
人を性善説で見るか、性悪説で見るかはまた別の議論ですが、犯罪は環境の歪みによって生み出されるもの、という考え方に立つなら、生まれながらにしての犯罪者などいないと考えるべきでしょう。仮にそうだとすれば、いくら内面的な動機を探ってみても「不祥事を起こす資質」など見つけられるはずがありません。
「そんなことを言ったって、実際に不祥事は起こっているじゃないか。不祥事を起こす人間を集めれば、共通する何かが見つかるのでは?」という声が聞こえてきそうです。それでは、そもそもなぜ企業で不祥事が起きるのでしょうか?
ひとつ多く見受けられケースとして挙げられるのは、一般社員よりも、トップを含めた経営幹部の遵法精神が低い企業です。我が身の保身・評価を最優先して、報告数字の水増しを常態化させたり、仕入れ先への不当な値引き要求や法スレスレの強圧的な取引などを繰り返していると、いつの間にか社内には「会社とはそうしたものだ」との認識が定着してしまいます。ルールや良識を守ろうとする意識がいわば麻痺した状態に陥り、不祥事を生む温床になりやすいのです 。
もうひとつのケースとして挙げられるのは 、信賞必罰が過酷な企業です 。
行き過ぎた業績至上主義は社内に「負け組」の存在を顕在化させ、企業風土はどうしても荒んだものになります。利他の精神は失われ、同僚の行動にも我関せずとなり、組織から疎外されたと感じると、どうしても愛社精神が持てなくなります 。利敵行為や背任行為は、こうした荒んだ企業風土から生まれてくることがあります。
さらに、企業の隠蔽体質も問題を大きくします。自社に不都合なこと 、商品の欠陥、顧客への対応のまずさ、不正な取引、財務上の欠損などを隠す行為は、それを知る社員からの信頼を失わせ 、その会社で働く誇りを奪い去ります 。
企業の隠蔽体質は、過酷な信賞必罰が背景に隠されていることがあり、それが露見したときには被害をより大きくします。
ワンマンタイプの独裁的な経営トップが君臨する企業でも、不祥事はしばしば起きています。こうした企業では危機管理が行き届いていて、多くの社員が従順に従っていると思われがちですが、社員はささいな失敗でも制裁されることを恐れるため、必然的に 取り引きのミスなどを隠すようになります。表面的にはうまくいっているように取り繕っていても、気づいたときにはかえって問題が大きくなっているようなことが少なくありません 。
企業から不祥事をなくすためには
企業から不祥事をなくすためには 、経営トップが率先して情報を開示し 、いわゆる「風通しのよい状態」を保つことが必要です 。
失敗を問いつめるのではなく、その原因となっているものを取り除くことができないか、経菅幹部が 一緒になって考えていく姿勢を持つことがお互いの信頼関係をつくります。 厳しく咎められたり、執拗に責任を追及されたり、あるいはその後の昇進が断たれるような恐怖に支配されている限り、人は失敗を打ち明けないばかりでなく、進んでチャレンジすることすらやめてしまいます。
かつて失敗したことのある社員でも、その後の仕事ぶりが評価されて着実に昇進しているケースを間近に見ることができれば 、安心して働くことができるでしょう。そうした開かれた企業風土をつくることもまた、企業のリーダーに課せられた大きな責任です 。
不幸にして不祥事が生じてしまったら、個人の責任を追及する前に、まずはそうした不祥事を生じさせる温床がないかどうか、経営トップは自らとその周辺をまずは総点検してみるべきでしょう。