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会社側の「親心」が裏目に出やすいのはなぜ?

従業員の扱いが、顧客並みの扱いに

働く側・働かせる側の関係値はこの数十年で随分と変化しました。「ブラック企業」「働き方改革」「ハラスメント」といった言葉がメディアでも取り沙汰されるようになり、反対に「労使」という言葉を耳にする機会が、昔に比べると随分減ったように思えます。昭和の頃にはあって当たり前だった従業員組合すらない、という会社も今では珍しくありません。

少子化に伴う人口減少ともあいまって、企業にとっての人材確保は死活問題です。正規・非正規を問わず、今や求職者や従業員は潜在顧客や得意先並みにケアされるべき対象になっています。経営者にとってES(Employee Satisfaction : 従業員満足)が、CS(Customers Satisfaction : 顧客満足)と同等、もしくはそれ以上の関心事になっているのもその表れと言えるのではないでしょうか。

時代が移り変わり、忍耐・根性・我慢といった精神論が次第に影を潜めていく中で、企業はそれこそ腫れ物に触るような感覚で従業員と向き合いつつも、見込みのある人材には将来リーダーとして、経営を担って欲しいと考えるのは今も昔も変わりません。

その一方で、終身雇用という大前提が揺らぐ中、新卒で就職した企業に滅私奉公して、定年まで勤め上げる、という感覚は次第に時代遅れのものとなりつつあります。苦労して育て上げるそばから、若手が離脱してしまい、最悪の場合、ライバル会社に転職してしまうというようなことが続いてしまえば、その会社は将来に大きな不安を残すことになります。

働く側は会社が考えるようには考えない

会社側が働く側を気遣うと言っても、その感覚は自動車などのメンテナンスに似ています。エンジンオイルやタイヤを入念にチェックするのは、自動車を安全・快適に走らせるためであり、エンジンオイルやタイヤに、個別の思い入れや愛情があるからではありません。同様に会社は、経営という自動車を走らせるために、働く者を無意識のうちに部品視してしまうことあり、この感覚が会社側と働く側のギャップを生んでしまいます。

たとえば目ぼしい人材に「経験を積ませる」という会社側の感覚はその代表的なものです。「経験を積ませる」のは、多くの場合、その人にゆくゆくは経営の一翼をを担うリーダーになって欲しい、という意図があるからこそであり、それが本人のためにもなるのだ、という会社側の切なる思いがほの見えます。

営業畑で着実に成果を挙げ続けている生粋の営業マンを「経験を積ませる」という目的で、経理部門や開発部門に配置するというようなことは、往々にしてあることですが、そのような場合、会社側はその意図や思惑について、誠意をもって本人へしっかりと説明する必要があります。

今、社会は流動的で不安定です。慣れ親しんだ仕事から引き離されることに対して、働く側が不安・不満を抱く確率は、昔に比べるとはるかに高くなっていると考えるべきで、会社側はここに十二分の配慮をしなければなりません。通り一遍の通告に、本人が抵抗する様子もなくわかりました、と答えていたとしても、本心は既に離職へと傾いてしまっているかもしれません。よほどストイックな人でない限り、好きなこと、自信を持ってやれることを続けたいと考えるのが普通なのです。

「本当の親だったらどうするか」を考える

子どもの成長のためだからと言って、嫌いな魚や野菜を無理やり口に押し込むようなことをすれば、彼らはますます気持ちを閉ざしてしまいます。ごくまれに言い聞かせてわかってくれる子どももいるかもしれませんが、たいていの子どもはそうでないことを世の親たちは知っています。

すり潰して子どもが好きな食材に混ぜてみる、食事の準備を下ごしらえから一緒にする、何でも食べる同じ年頃の子どもと一緒に食事をする…そうした親たちの涙ぐましいまでの創意工夫は、今も昔も尽きることがありません。

経験を積ませたいと考える会社の意図を「親心」と言うのであれば、「親としての努力」は十分に為されているか、今一度ふり返ってみて下さい。子どもたちに多くのことが見えていないのはむしろ当然です。彼らがいつしか分別ある大人になった時、感謝まではされずとも、正しいことだったと感じてもらえるような所業こそが「親心」と呼べるものであり、次世代に人材を繋ぐ礎となるのではないでしょうか。