見出し画像

明治のチェルシーとカールに別れの季節を想う|エッセイ


明治チェルシー販売終了のニュース


赤い方は甘過ぎて好みではありませんが、緑の方は酸味がほど良く効いていて、好きです。
※赤い方:バタースカッチですが、呼び慣れた表現を使います。
※緑の方:ヨーグルトスカッチですが、呼び慣れた表現を使います。
※他の味:思い出の重さを鑑みて、ここでは省略します。

ニュースには驚きました。
確かに最近は食べて(舐めて?)いませんでしたけど。

勝手なもので、何となく『スタンダード品』という概念があり、チェルシーがその中に入っていたから驚いたのだと思います。

明治と言えば、何年か前にキシリトール配合ガムからの撤退を発表していましたが、当時は、そこまでの感慨はありませんでした。
私の『スタンダード品』の概念に入れていなかったのでしょう。

『スタンダード品』は、いつでも食べられるのです。
ポテトチップスやチップスターと同格です。
カレーライスと同格です。
それが食べられなくなる。
世の中もザワついている様子です。

あくまでも営利活動であり経営判断ですから、批判や非難をする必要はないです。
それに、最近は食べて(舐めて?)いなかったことを自認している訳ですから、その資格すらありません。

でも、何だか寂しい。
この感想に尽きます。

明治のカールは普通に買えるんです


西日本では当たり前のことで、東日本では驚く方も居るかも知れません。

私の居住する愛媛県松山市にある四国明治松山工場でのみ、全国唯一の生産を継続しています。
これってちょっとした自慢なんです。
松山市では、ふるさと納税の返礼品にしているくらいです。

何故、自慢なのか。
カールは『スタンダード品』で、それを愛媛県松山市の四国明治松山工場が守っているからです。
※私は、四国明治とは何の利害関係もございません。

関東に居住する私の親族は、お土産として送ると非常に喜びます。
縮小したことが、新たな付加価値をもたらしています。

愛媛県松山市の四国明治松山工場が唯一の生産拠点として残ったという点を贔屓目にしますが、仕方なく事業を縮小するとしても、このような手法は良いと思います。

また将来的に全国区へと復活する可能性も残ります。
ただし、他県の工場で生産を再開したら、私の態度も変わることでしょう。

それはメタファー


チェルシーは『スタンダード品』だから、無くなると寂しい。
無くなると寂しいのは『スタンダード品』に愛着があるから。

『スタンダード品』であるカールが販売されていることが嬉しい。
嬉しいのは、愛着のあるカールを松山市が支えているから。

これらは少し違うんです。
チェルシーは、チェルシーに対する単独の愛着。
カールは、カールへの愛着と、それを支える居住地への愛着。

仮に今、カールを失うとすれば、これは非常に大きな失望となります。
松山市にも少なからず失望するでしょう。
実質的には、そのプロセスに積極的関与ができないにも係わらず。
これはもう執着でしょう。

こういったことを科学的に分析する試みもあり、身体的一部、懐かしい思い出、或いは家族や友人の存在に対するメタファーとして、商品や土地が認識されていると考えられています。

メタファーとは暗喩とされます。
簡単に言えば、チェルシーや松山市が、身体的一部、懐かしい思い出、或いは家族や友人と、知らないうちに頭の中で同一視されているという具合です。

できるならメタファーになれるよう


実は私、愛媛県松山市に居住していますが、愛媛県出身ではありません。
これまでの人生の半分以上を愛媛県外で過ごしています。
しかし、カールの一件から、愛媛県松山市が既に私のメタファーであることを認識しました。

何が私のメタファーかなんて、考えながら生きていませんが、それを知るのは変化や別れがある時かも知れません。

折しも、卒業や転勤といった変化や別れの季節です。
私や私が関係したものが、関わった方々のメタファーになれるよう、日々を大事に過ごしたいものです。
執着にならない程度に…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?