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牧師も病む――「ありのままでいい」という無関心宣言

『牧師、閉鎖病棟に入る。』読了

精神疾患を発症し、発達障害も抱えていて、職場で人間関係のトラブルを起こした牧師が、精神科の病院の閉鎖病棟に入院し、そこで出会った人たちや出来事、思いを巡らせた時間が語られている。

何より、牧師として慰問に訪れていた精神病院に、自らが患者として入院するという一連の流れが、いかに心にズッシリくるか。想像はできる、完全に、とはいかないけれど。

あちらとこちら

持ち物を制限される閉鎖病棟では、自殺企図のきっかけになり得るとして、スウェットの腰の紐すら抜かないといけない。
入浴時は一部始終を看護師に見張られているし、トイレにまでつきまとってくる若者たちの存在もある。
それでも、その場で、沼田牧師は観察の目を開き、多くの制限がある入院生活が淡々とつづられる。
序盤はこうした「中の人しかわからない生活」の描写にページが割かれる。ガラスのこちらとあちらで、こんなにも世界が違う。自分が知らないだけで、みんな、ギリギリのラインを保って生活しているのかもしれない。

閉鎖病棟の面々が、誰しも「自分はもうすぐ退院できる」と虚勢を張り合うシーンも印象的だ。
そのメンツの誰もすぐに退院できる状態じゃない。
病識がない、というのか、希望がそこに集約されているのか……その希望は必ず打ち破られるのに、虚勢は繰り返される。
俺が先だ、いや俺の方が先に外に出るんだ、そういう競争が、もう何年も同じメンバーの間で繰り返されている日常が、閉鎖病棟の中にはある。
「俺はお前とは違うんだ」以上の気持ちが、言葉にはできないけれど、確かに存在する。
そして、ブラックホールを覗いたらこんな気持ちになるかもしれないと思う。

持っていない言葉がある

マレという16歳の少年の存在は印象的である。
牧師とのファーストエンカウントから、なんなら普通以上の高コミュ力を見せている(ように見える)彼も、閉鎖病棟にいるということは、それなりの理由があるわけで、簡単に言うと自分の妹をカナヅチで殴打したけど何が悪かったのかわからない、という症状である。
親としてはもう、かける言葉がないかもしれない。私はそう思って、そういう自分にちょっと絶望した。言葉が見つからないというより、マレに届く言葉はないかもしれないと思った。

人間は難しい。
言葉で何かを伝えなければ、自分の意思を明らかにすることができないのに、言葉だからって何でも伝わるわけではないのだ。
言わなきゃわかんないけど、全員にわかる言い方って案外ない。

あなたはありのままでいい、だから干渉しないという無関心宣言

プライドが自己理解を深める上で邪魔をする、と沼田牧師は綴る。
主治医や周りのせいにして、自分を労ってほしい、ありのままを受け入れてほしい、と思っているとの指摘に、私もぎくっとする。
「ありのまま」って、実は、自己と他者の間に壁を作る言葉ではないか、という問いかけに、もう使い倒しているその言葉の意味を考えないわけにいかない。
他責思考に陥っているのではないか、と自己に問いかけてからの自己探求は、想像するとめちゃくちゃしんどい。自分の本当の「ありのまま」って、自分が認めたら発狂しちゃうんじゃないかと思うくらい、きっと、汚い。

牧師も病む、いわんや私をや。

「自分を苦しめる無数の自己イメージはどれも的外れな理想」
「それは本当に自分が思っているありのままの自分なのか」
沼田牧師の自問自答が、次から次へと私に突き刺さって、痛すぎて、読み続けるのをやめたくなった。

自分が、いや、自分の大切な人が、閉鎖病棟に入らなければならない事態になったら。

それでも人間は生きるしかないんだな、と思う。
それが、希望なのか絶望なのかはわからない。
ただ、生きているかぎり自分事になり得る問題なのは確かだ。
人間には誰しも「自分」があって、みんな、「自分」がわからない。


さて、今回もAudibleで読了した。本といえば、私は従来の紙の書籍一択だった。電子書籍だと目が滑るので、内容が頭に入って来ないのだ。
音声での情報は、私と相性がいいらしい。1ヶ月の間に10冊も読めたのは久しぶり。Audibleがもっと普及して、聴けない本はないくらいの規模になってほしい。


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