天才と人生と得手不得手
「お芝居と同じように、人生にも上手な人と下手な人がいるのよ」
Twitterの画面に、突如よく知った文章が現れました。寺山修司の戯曲『星の王子さま』の登場人物が口にする台詞です。
この言葉のみが切り抜かれて漂っているのはいささか奇妙にせよ、断片でさえ色濃い寺山らしさには、きわめて味わい深いものがあります。
《職業・寺山修司》
彼は自身の肩書きをそう称しましたが、そこにはわずかのてらいも偽りもなかったようです。
その証拠に、日本の文化人で、彼ほどにあらゆる方面への天才を発揮した人はそうはいません。
作家・詩人・俳人・脚本家・監督・批評家・ボクシングに競馬・社会風俗のレポートまで。
“言葉の魔術師”たる彼は、その全ジャンルにおいて、他には変え難い仕事ぶりを残しました。
私のよく知るある方は、まだ若い頃に寺山の世界と出会ったこと、寺山の演劇実験室・天井桟敷の芝居を『青森県のせむし男』から始まり、美輪明宏さん主演の『毛皮のマリー』も含め全作品をリアルタイムで観られたことを、他に比べるもののない幸運として語っています。
「人生はいつも詩より少しみじかい」
寺山はそう書いたものの、57年という人生で、傍目にも素晴らしい成果をあげました。
彼の人生は成功した物語であり、どもりがちでナイーブだったという内面を隠しながらも、上手な人生を送ったと思えます。
ヨーロッパでは、寺山を語る際によく比較されるジャン・コクトー。彼もまた、稀代の天才でした。
作家・詩人・脚本家・監督・批評家・画家と、活躍した分野も寺山と重なり合う部分がありますし、ごく若い時代から自身の才能を余すところなく発揮しました。
恋人レイモン・ラディゲの死で阿片中毒に陥るほどの深手を負うなど、苦痛に満ちた時期こそあれど、その回復を支えたガブリエル・シャネルや、エディット・ピアフ、セルゲイ・ディアギレフ、パブロ・ピカソ、藤田嗣治をはじめとする、各時代を代表する綺羅星のごとき芸術家たちとの交流。今もなお読み継がれ、上映・上演され続ける作品たち。
マルチプレイヤーの代表であるような彼は、人間関係と天賦の才、あふれるインスピレーションに恵まれ、とりわけ上手に人生を生きた人であったと感じます。
その寺山やコクトーと同じく、あらゆる分野で活躍したもう一人のアーティスト・セルジュ・ゲンズブール。
彼も、歌手・俳優・作家・詩人・脚本家・監督・批評家・作詞家・作曲家・プロデューサーと書ききれないほどの肩書きを持ちました。
エディット・ピアフ、ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン、ジュリエット・グレコ、カトリーヌ・ドヌーブ、イザベル・アジャーニーと、名前を書き連ねただけで目もくらむような女性たちとの、公私にわたるさまざまな関係も有名です。
その音楽に心酔するフランス人から“イギリスにはジョン・レノンがいるが、フランスにはゲンズブールがいる”と称され、未だにその足跡を辿り“聖地巡礼”する人々も存在します。
その彼は、晩年に自らの一生をこう総括しました。
「俺は全てに成功したが、人生には失敗した」
実はゲンズブールが最も就きたかった職業は画家であり、それが叶わなかったことで、彼は生涯、後悔とコンプレックスにさいなまれ続けていたといいます。
人もうらやむ成功やきらびやかな交際関係、華やかな私生活も、当の本人には空しいものだったのかもしれません。
自らの名を世界的に有名にした音楽も、絵画に比べれば劣ると公言して憚らなかったのですから。
世の中の一般的な尺度で測る成功の無意味さを、彼が心中で感じ続けていたのだとしたら、なんともいえず哀しいことです。
私は自分がそれほど上手に人生を生きているとは思いませんが、最後になってゲンズブールのようにうそぶくことはすまいと思います。
たとえ不器用でも下手であっても、ともかくこれでよしと笑って人生を終えたいものです。
再び寺山の作品から言葉を借りると
〈人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの〉
とでもいったところでしょうか。
そのためには、この台詞の主である“毛皮のマリー”ほどのけれん味と豪胆さでもって、貪欲に生きる覚悟が必要かもしれません。
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