11月の詩
十一月、さびしい十一月、黒い十一月…....
朝がすこし許り雨戸のすきまから流れ込む、
私はお前の肩に倚りそつて私の心臓の音をきく。
お前は私の頬を愛撫しながら、
子供らしい言葉で私に話す、
つかれて、とぎれとぎれに。
冷たい雨が窓を打つ
風が戸をがたつかせる。
── お前の幼時を思ひ出すな
お前はまた泣きたくなるだらう。
20世紀初頭のパリ、詩人ギィ・シャルル・クロスは、晩秋の一場面を紙面に綴り、その詩を『十一月』と名付けました。
次第に減じる陽に代わり、容赦なく闇が濃くなる季節。それは繊細な人々の心をより不安定にさせ、気分をことさら暗い方へと誘うものなのかもしれません。
◇◇◇
同じく20世紀初頭のフランスにて、多調音楽の先駆者とも称された作曲家シャルル・ケクランは、多くの詩人と協働し、優れた歌曲の数々を生み出しました。
そのうちの一曲『秋』は時を超えて今なお歌い継がれ、作詞者であるアルベール・サマンの詩と共に、長きに渡って愛され続けています。
ゆっくりと、僕らの犬の後ろに続き
僕らはなじみの道を歩き直す
蒼ざめた秋は血を流し
喪服姿の女たちは地平線の彼方を往く
療養所や監獄の庭めいた
穏やかな空気は悲しみを湛えている
そして時が来て、金色の落葉が舞い散る
ある思い出の中のように
閑々と、地面の上に
沈黙が僕らの間を歩む...…
偽りの心を携えた僕らは旅に倦み
もはや別々の夢を見て
身勝手に己の故郷を想う……
憂いに満ちた夜の森で
僕らは物思いにさいなまれ
眠り込むような空の下
問わず語りに昔を語る
死んだ子どもの身の上を話すように
ひそやかに……
◇◇◇
日本の文豪森鴎外も、明治末期の東京にて、秋の夜のやるせなさを綴っています。
この詩『秋の夜の金の月は東に昇りぬ』を書いた頃、鴎外は病気療養中であったといい、病の床から見上げる夜景に、なお胸中の侘しさを募らせたのかもしれません。
秋の夜の金の月は東に昇りぬ
無言の空ははるかに透きて
寂しさは幾重にも重なり
物思う心地せまり来る
◇◇◇
スウェーデン初の女性職業詩人であるエーヴァ・ストルムは、1928年発表の詩『秋の黄金の日々』にて、北欧の秋の眺めを描きました。
それは秋の訪れと時を同じくして厳しい冬の到来を予感させる、かの地ならではの情景です。
秋の黄金の日々は
森の木々を飾る
紫と金の装いで
そのかたわらに立つものは
枝に霜の結晶をつけ
裸で寒さに凍える木々
◇◇◇
こうして並べたいずれの詩人たちの作品にも、艶やかな秋の景色への賛美のみならず、次第に闇を深くする季節への憂愁が漂います。
けれどもアメリカの詩人ロバート・フロストは『金色という言葉』の一節にて、そこにかすかな光明を投げかけます。
木の葉が金色に輝くころ、
秋の寂しさを紛らわす言葉がある
それは金色という言葉だ
その色は、サマン、鴎外、ストルムと、いずれの詩人の手がけた詩にも、静かな底光のごとく輝いていた色です。
詩人で童話作家の工藤直子は『空が』にて、その色をためらうことなく、一層のまばゆさで周囲にきらめかせます。
暗く沈みがちな季節をまるで違ったものに見せるその詩は、秋がいかに多彩な顔を備えているかを教えます。
瞬く間に過ぎる芳醇の季節が、どうか実り多きものでありますように。
空が
雲の旗をふって
地球に 合図する
地球は
金色のうねりで
空に 応える
秋は 光ります
澄んだ目でみよう
すそを翻して
秋が
通り過ぎるのを
(『秋』 堀口大學・訳
他 ほたかえりな・訳)