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3月の詩

世の中がいやになつたから、山へでも行かうかとふと思つた。世の中がすきになつてくると同時に、天と地と草と木とが次第に美しく見えてくる。ことにこの頃の春の光が好い。


夏目漱石作『三四郎』に登場するこの一節。
言わずと知れた名作に、もはや無粋な解釈は不要でしょう。
それよりは音楽性豊かな文章を味わいつつ、主人公と同じく春ののどけさにほだされて、じんわり広がるあたたかな気分に微笑んでいるのが良い気がします。


◇◇◇


人いきれのする街に疲れ、自然の中に慰めを求める、そんな心持ちは時や場所を問いません。1802年の英国にて、ウィリアム・ワーズワースの手によって書かれた『水仙』でも、一人の青年の憂鬱と再生が描写されています。

湖水地方のほど近くで生まれ育ったワーズワースは、幼い頃から自らの内に自然への強い愛着を持っていました。
その人生は必ずしも順風満帆とは言い切れず、子ども時代に両親を亡くし、大学卒業後に赴いたフランスでは、革命後の国家の在り方に心をくじかれます。一女をもうけた妻との仲もかんばしくなく、やがて全てを振り捨てるようにイギリスに帰国しました。
精神的な混迷の日々から立ち直れたのは、詩人コールリッジと結んだ友情ゆえです。けれど後にはこの親友とも絶縁し、関係は生涯回復しませんでした。

再婚した妻マリー、妹ドロシーとの湖水地方グラスミーアでの暮らしは慎ましく、家計を支えたのは印紙販売員としての仕事です。産業革命の只中のイギリスで自然賛美の詩は好まれず、詩人としてはとても立ち行かなかったのです。
最高傑作と言われる『序曲』の出版も、叶ったのはワーズワースの没後でした。

この詩『水仙』が書かれたのは、1804年当時より以前の記憶に頼ってのことと言われています。
苦難の多い年月のうちに、詩人自身も、幾度となく春の花の思い出に心を慰められてきたのかもしれません。


谷や丘の上を漂う雲のように

僕は一人さまよっていた
すると思いがけず
金色に輝く水仙の群れに出会った
花たちは湖のほとりや木立の下で
そよ風に吹かれつつ
踊るように揺れ動いていた

天の川にきらめく星のように
花たちは入江の岸辺を縁取り
見渡す限りの線を描いていた
きっと一万はくだらない花たちは
みんな頭をもたげ嬉しげに踊っていた

入江の波たちも一緒に踊ってはいたけれど
花たちの楽しげな様子には及ばなかった
こんなにも喜ばしい仲間に迎えられ
詩人たる者、陽気にならないはずがない
僕はひたすらその光景に見とれたけれど
それがどれほどの恵みをもたらすものか
その時には気づけなかった

空しさや憂鬱にとらわれて
一人長椅子に寝そべり
暗い思いを巡らせるような時
花たちの姿がよみがえる
孤独の至福である内なる目に
そして僕の心は歓喜に満たされ
水仙の花の群れと共に踊り始める


◇◇◇


ワーズワースとはまた異なる強い思いを春の情景に重ね、尽きせぬ喜びを語った詩人がハンガリーにもいます。ペテーフィ・シャーンドルという名前すら日本ではほとんど知られていないでしょうが、故国では首都ブダペストに銅像が建てられるなど、国民的芸術家としての敬愛を集めています。
2023年には生誕200周年を迎え、国をあげて様々なイベントや式典も催されました。

民謡を思わせる素朴な言葉で農村世界を語り、妻への愛を歌う詩人が国家の英雄となったのは、1848年のハンガリー独立戦争がきっかけです。
ハプスブルク朝オーストリア帝国からの独立を目指すこの戦いにて、ペテーフィは〈3月の若者たち〉と呼ばれる革命指導者の中でも特に強い影響力を誇りました。
民衆の先頭に立ってハプスブルクへの要求をまとめた〈12条の要求〉や民族独立の夢を語る自作の詩を読み上げるだけでなく、武器を手に最前線でも戦っています。
開戦の翌年、1849年の夏にルーマニアのシギショアラで消息が途絶え、おそらくはその地で戦死したものとされています。まだ26歳の若さでした。

こうした史実を知るにつれ、ペテーフィが今日でもハンガリーの人々から最も愛される詩人であることが納得できます。
激動の歴史の中で紡がれた『春の歌』にも、うららかな喜びの裏に込められた切なる意志が感じられてなりません。


春よ、春よ、美しい時、

雪は溶け大地が目を覚ます
蝶が舞い花は咲き誇る
風は柔らかく頬を撫で
若芽が緑の歌を奏でる
どこまでも春は薫る

鳥たちが空に歓喜の声を響かせ
冬の眠りから目覚めた大地の
新たな生命が始まる
私の心もまた解き放たれ
春よ、君と共に自由を歌う


◇◇◇


言葉に尽くせぬ思いを抱える人間たちに、やさしく寄り添うような春。
"つまらない日常"などはどこにも無く、代わり映えのしない、ごく当たり前の日常こそが最も得難く貴いものかもしれません。
さすれば、つつがなく日々を送れることへの感謝を心に留めつつ、春の自然に親しむのもまた一興です。

そのために山や野へ行き、花や蝶を探すような機会はなくとも、ひとまずは窓を開け、夜空を見上げてみるのはいかがでしょう。
頭上には、200年以上も前の歌人も見た麗しい夜景が広がっています。この季節にしか見られない、ほのかにかすみ、おぼろに潤んだ空の月。
その特別な眺めを愛でながら、心ゆくまで美しい時節を愉しまれますように。


春の月さわらば雫垂りぬべし

小林一茶


(訳詩・ほたかえりな)





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