そはかの人か、グロスター
『伝染るんです』
ある程度の年齢、あるいは漫画好きの方ならば、これに正確な読み仮名を振れるでしょうか。
もったいぶることでもないので正解を書いてしまうと、これは『伝染るんです』と読み、吉田戦車さんの4コマ漫画のタイトルです。
1980年代後半から90年代初頭に連載された伝説的な作品で、私もコミックス全巻を読みました。
"不条理漫画"と目されることも多いだけあって内容や登場人物も一風変わっており、どこか間の抜けた〈ヤクザ〉までいるほどです。
この〈ヤクザ〉の一人がある時〈ポリニャック伯夫人〉という名前に取り憑かれ、居ても立ってもいられず、新幹線に飛び乗って組長の元に出かけます。
「『ベルばら』の登場人物の名じゃい」
組長のこの一言がオチなのですが、〈ヤクザ〉と〈ベルばら〉、組長によるあっけない解決など、あり得なさ尽くしのお話です。
そして、なぜこんな話題を持ち出したのかというと、私もつい最近、全く同じような経験をしたからです。
ある朝、洗面所で顔を洗いながら、ふと閃いた名前がありました。
〈グロスター伯〉
…って、誰だろう?
なぜ急にそんな名前が浮かんでくるのか、考えてみると、どうやらシェイクスピアの登場人物らしいという気がしてきます。
そんな名を、確かにシェイクスピアの戯曲で読んだ覚えがあるのです。
普通ならそれきりそんなことも忘れてしまうのですが、それからも妙に〈グロスター伯〉の名がひっかかり、頭から離れてくれません。
こうなるともう答えを探る他はなさそうで、長期戦を覚悟の上、このグロスター伯なる人物が何者か、真剣に推理を開始しました。
なぜさっさとウェブ検索をしないのか、という問いが聞こえるようですが、これは最後の手段に取っておきます。
スマートフォンを操るだけで正解に辿り着いてしまうのは味気なく、せっかくのこんな出処不明の疑問なら存分に楽しまなくては。
まず第一に、〈グロスター伯〉がシェイクスピア劇の登場人物であることは決まりとしました。
ここを疑いだすときりがありません。
そして、なんだかこの人には暗い気配が纏っているような気がします。
決して明るい背景は見えないような。
それならば考え得るのは悲劇作品で、まず『オセロ』『ハムレット』『リア王』『マクベス』の四大悲劇を疑います。
他にも『コリオレーナス』『冬物語』『タイタス・アンドロニカス』など数多の悲劇はあるものの、これらは可能性が低そうです。
お恥ずかしい話ながら、登場人物の一人一人が印象に残るほど、私は物語を読み込んでいないからです。
そして、この〈グロスター伯〉は誰かから呼び捨てにされていたような覚えがあります。
伯爵を呼び捨てに出来るのは、それより上位の貴族か王族だけ。
するとこの人は宮廷人に違いなく、さらに四大悲劇説の可能性は高まります。
ヴェニスの将軍オセロは王ではなくとも、〈グロスター伯〉が部下ならば呼び捨ても自然でしょう。
けれどどう記憶を辿っても『オセロ』にこの名前の人物は存在しないため、『オセロ』は除外して候補は残り三作です。
同じ理由で『ハムレット』も外します。
私は観劇もしましたが〈グロスター伯〉なる人物はいませんでした。
すると残りの候補はあと二作。
『リア王』と『マクベス』です。
そこまで考えるにつれ、ぼんやりと浮かんできたのが、この人は忠臣だったようなという印象です。
確か、最後まで王に味方する、善良な人であったはず。
それでいて悲劇的な暗さを背負った人。
そうなると、もう『リア王』以外にありません。
王座を狙って狂う『マクベス』の世界に、身を賭して主人公に尽くしてくれる善人が存するはずもないからです。
『リア王』ならば、王冠を剥ぎ取られた不幸な王に仕える臣下がおり、おそらくそのうちの一人が〈グロスター伯〉のはず。
よって〈グロスター伯〉は『リア王』の登場人物である。
これが、数日がかりで私が導き出した結論でした。
さて、この考察の結果は如何なものか。
いよいよ答え合わせです。
〈グロスター伯〉というキーワードを検索サイトのウインドウに打ち込むと、関連記事がずらりと並び、私は心中で快哉を叫びます。
予想に違わず、グロスター伯はシェイクスピア作『リア王』の主要人物で、主君リア共々、地獄の悲劇になぶられる人でした。
せっかくの機会なので確認に終わらず『リア王』を再読しようと、松岡和子さん訳の文庫本も手に取ります。
翻訳の歯切れの良さも手伝い、一気読みで終幕まで辿り着いて、深いため息をつきたくなります。
夥しい計略が張り巡らされ、身内や親しい者同士が殺し合うこの物語は、悲惨で救いがありません。
止めどなく流れる青い血で出来た沼は、折り重なる亡骸で足の踏み場も無いほどです。
リアとグロスターはそれぞれの子の貪欲ゆえに全てを失い、野を彷徨う宿命を負いました。
それも、リアは正気を、グロスターは両眼を失うという枷付きでです。
二人は己の判断の甘さゆえに破滅し、試練の末に真理を悟り、絶望の中でこの世を去らねばらないところまで酷似しています。
松岡さんは「リアの最大の過ちは、愛情という計量不可能なものを計量化したことだ」とあとがきに記しましたが、これは言い得て妙の、身につまされる考察です。
愛情にしろ何にしろ、数値化できない人間の感情を正しくとらえるには、とりわけ深い智慧が必要です。
そこへの理解と自制が行き届かない時、人間関係は地獄になるという戒めが、この物語から読み取れる一つの教訓かもしれません。
さて、私の疑問に答えは出ても、問いそのものの根本は謎のままです。
グロスター伯の名が、なぜ何の脈絡もなく閃いたのか。
それもどうにか推察ができたため、次回の話でゆるやかにそちらへつなげていけたらと思います。
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