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たかが姿勢されど姿勢

言葉は使う人やシチュエーションによって意味を変えるもので、たとえば私は全く同じ言葉で、人からほめられ、けなされたことがあります。

その言葉とは「自信たっぷり」


ある人からは
「あの人はどこにいても自信たっぷりな感じがいいね」

別の人からは
「なんであんなに自信たっぷりなの、大したことないのに」


見事な反転具合ですし、私が長短両方の意味で受けたこの「自信たっぷり」という評価がどこから来るのか、なんとなくわかる気はします。

おそらく姿勢が原因で、バレエやソシアルダンスなどの経験のある人ならば、覚えのあることかもしれません。

レッスン中だけでなく日常生活でも常に身体を引き上げるよう癖づけているために、それが妙に姿勢よく背筋の伸びた風に映り、いかにも自信ありげ、悪くすると偉そうに思われるのでしょう。



そもそも、私がバレエを始めたのも外見へのコンプレックスがきっかけでした。

呼吸器に問題を抱えていたため、胸苦しさをかばうため前屈みのひどい猫背で、長いこと自分の外見が嫌いでした。
しかも、背が高くも、スタイルが良いわけでもない。

これをどうにかするには身体に“教養をつける”しかなく、動きの優雅さを身につけられれば、少しは負をカバーできるのでは、と思ったのです。


そうして10年以上、バレエや数種類のダンスを続けたおかげで、人から「えらそうにしている」とまで言われるようになったのですから、私の目論見も成功と言えるかもしれません。

そのため私は姿勢が原因の陰口に少しの腹も立たず、むしろ多少の嬉しさすらあると知れば、私の気分を害そうとしていた人たちは、さぞがっかりしそうです。



もうひとつ、姿勢の良さの思わぬ副産物が、街なかで望まない人との接触を避けられるようになった、ということです。

外見の威圧感の低さが災いしてか、繁華街を歩いていると気軽に声をかけられたり、順番待ちの列を抜かされかけたり、人にぶつかられたりといった目に遭いがちだったのが、姿勢の良さをほめられるようになった頃から、そういったことがなくなりました。
それはもう、見事なほどに。

見た目だけでこれほど周囲からの捉えられ方、扱われ方が変わるのかと驚きでした。



ロシアの格闘技システマの創始者ミハイル・リャブコによると、犯罪者がターゲットを無作為に選ぶ際、判断基準となるのは歩き方だといいます。

その人が強そう、弱そうというだけでなく、反撃されそう、逃げられそうなど、“狩りやすい”人間かどうかを、犯罪者は意外なほどの冷静さで見分けているそうです。


納得はできる話で、もし自分が無差別に人を襲おうとする犯罪者なら、“面倒くさそう”な相手より、あまり抵抗されない“簡単そう”な相手を選びます。

その際、頼りにするのは相手の年齢性別を含めた外見であり、どんな姿勢で、どのような動き方をしているかは、重要なファクターになるでしょう。


何ヶ月も前に『戦わない防犯法』というタイトルの話でも同じようなことを書きましたが、自分の外見が周囲にどんな印象を与えるかに心を配るのは、決して無駄ではありません。

これは犯罪者に限ったことでなく、街で行き合う人に対しても同じであり、人は相手を見て言動を変えることも多いのですから、自衛の意味でも、姿勢に気をつけることは重要に思えます。



それだけではなく、姿勢は精神状態にもダイレクトに影響します。

心理学者のエイミー・カディーが『TED Talks』で語った“パワーポーズ(わずかな時間で自信が高まるしぐさ)”の効能は賛否両論がありますが、私は効果があると思っています。

たとえ“ふり”でも心は身体に影響されます。
自信に満ちて胸を高くした姿勢でいながら暗く卑屈な心持ちでいることは難しく、逆もまたしかりです。
試してみると、感情と姿勢の不一致に気持ちが悪くなり続けられないはず。


どんな場合も、心を操作するより身体を整える方が簡単で、たくさんの方法があり、効果も見えやすいのです。
姿勢がいいだけで色々とごまかせますし。

「えらそう」と嫌ごとを言われる以外は、何も悪いことがありません。
しかもそれすら、ああ、堂々として素敵ってことね、などとポジティブ変換で微笑めばいいのですから。



もし“楽ちんで良い姿勢”を試してみるなら、決して無理に背を伸ばそうとするのではなく、頭上から糸で吊られる感じを持ってみたり、首の後ろを伸ばしてみる鎖骨を横に広げる胸を持ち上げるお腹を縦に伸ばす、など、ぴんと来るものを、気づいた時に続けてもらえたらと思います。

きっと、少しばかり身体が楽になり、気分も晴れるに違いありません。

いい気分になるのは意外と簡単ですし、自分のご機嫌は自分で取って、愉しく過ごせるのが一番、ではないでしょうか。

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