殺すことは生きること
「自分に逢ったら自分を殺せ」
居並ぶ人々はその言葉に息を呑み、刹那の動揺の後、そろって腑に落ちた表情を浮かべたといいます。
さすが厳しい業に励む方々だ、言わんとする意味を即座に受け取ってくださった。
その場に居合わせた岡本敏子さんは、感慨を込めてそんなことを書きました。
発言の主は岡本太郎さんであり、数千人の僧侶を前にした講演会でのことでした。
「法隆寺は焼けて結構」
と同じく、そこだけを切り取られると、轟々たる非難は確実の“放言”でしょう。
『逢仏殺仏。逢祖殺祖。逢羅漢殺羅漢。逢父母殺父母。逢親眷殺親眷。始得解脱』
(仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん)
唐の禅僧で臨済宗の開祖・臨済義玄による衝撃的なこの言葉に、太郎さんは“自分”を付け加えました。
それは単なる言葉遊びではなく、私たちが日々出逢うのは、仏よりもまずは自分自身である、という考えに基づいています。
今日、道で仏に行き合うことがなかった人も、自分と出逢わなかったということはないでしょう。
そして、その“自分”と相対した時、それを壊すべし、というのが太郎さんの考えです。
これは規格外の思考のようでいて、その実、ある種の難局を打破するための、決定的な鍵でもあります。
それを強く感じたのが、つい最近、とあるアーティストにまつわる話を聞いた時です。
私の友人に声楽家がおり、他の演奏家仲間と共に、数年前から方々でコンサートを開いています。
そろそろ活動も本格化してきたため、音源や映像の収録、コンサートのプロモーションなど、自分たちで手がけてきたことを、専門のプロに委ねようということになりました。
そこで友人が依頼をしたのが、かねてからの知り合いである、年若い映像アーティストです。
この人はまだ十代の頃にアート系映画を監督し、いくつもの賞を受賞しました。ところがあまりの若さゆえ様々な困難に直面し、以後は裏方仕事に徹していたそうです。
最近になってようやく創作意欲が湧いてきたと聞き、まずは音楽の世界に関わってみるのはどうか、と友人が話を持ちかけたのです。
撮影や編集はもちろんのこと、全体のプランニングまで請け負えるため、これ以上の適任者はそういないという事情もあります。
他の奏者との顔合わせもつつがなく進み、すでにメンバー全員にとって重要な存在になりつつあるため、友人の目論見も功を奏したというわけです。
ただ、この人がそこで見せている働きはプロデューサー的なところのみであり、本来のアーティストの部分は封印されたままだといいます。
現にメンバーの一人は、こんなことをつぶやきました。
「あの人の仕事は最高だけど、才能の全てを発揮するには、まだ何度も自分を壊す必要があるだろうね」
十代の頃から業界の内幕をのぞき、強烈な光と影のコントラストにさらされ、自分を守るためその世界から身を引いた人です。
当然、身につけた殻も厚く、それを脱ぎ捨て、壊すことは容易ではないでしょう。
だからこそ、その人がいないところで、気遣わしげにそんなことが話し合われたのかもしれません。
ただ、その人に限らず、似たような状態の方は多いような気がします。
“石橋を叩いて渡らないタイプ”と自己紹介する人に会ったことがありますし、自分を変えるのはそれほど怖いことでもあります。
コンフォートゾーンから出ることへの恐怖心がそんな状態をもたらすのかもしれませんが、そういった人を無理やり外に引き出そうとするのは、逆効果であるように思えます。
ではどうするのかと問われると、私なら、待つことだと答えます。
『蕾のままでいる方が、開花する苦しみを上回る時がやってきた』
作家アナイス・ニンがこう書いた境地に至るまで。
その人の内側に抑えきれない何かが育った時、もはや立ち止まり続けていることの方が苦痛になり、未知の場所へいざなわれてゆきます。
その時が来るまでは、もやもやを抱えつつ留まっているのもまた、有りではないでしょうか。
そこで蓄えた力を、外へ出てからのエネルギーの一端とすることも出来るのですから。
そして、そんな状態の訪れこそが、太郎さんの言う“自分を殺す”ということなのでしょう。
それまでの自分を殺したからこそ、新しい自分が生まれる。死ぬことで生き返り、瞬間瞬間に自分を作り上げていく。
この過激なあり方には、生きることへの誠実さと自由、“よく生きる”ことへの実感があります。
過去の自分に固執することなく、常に新たな自分の生き方を選び続ける。
常にそんな人間でいられるよう、小さな勇気を持ち続けていたいと思います。