9月の詩
1933年8月、一人の女性が夏の終わりと共にメキシコから旅立ちました。
彼女は長期にわたる彼の地での滞在中に詩を書き連ね、それは数年後に詩集『悲しみの庭』として出版されます。
その詩集をきっかけとして名声はスペイン語圏に鳴り響き、やがてラテンアメリカ人初となる、ノーベル文学賞受賞の栄誉にも結びつきました。
この詩人は名をガブリエラ・ミストラルといい、『悲しみの庭』にも収録された「夏」は、彼女の最盛期を代表する作品のひとつとされています。
雲の一団を引き連れあなたはやって来る
私に別れを告げるため
燃え盛る夏よ
小麦は金色に実ったか
早熟な果実は成ったか教えて
緑の野原の
故郷の青い川の様子を教えて……
あした私は旅に出て
もう二度とは帰らない!
太陽はまだ熱く燃えているか
山に咲く花はあるかを教えて
◇◇◇
ミストラルの記した"雲の一団"はおそらく入道雲を指しており、そこからは正岡子規の『雲』の中の一節が連想されます。
春雲は綿の如く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如く、晨雲は流るゝが如く、午雲は湧くが如く、暮雲は焼くが如し。
ふわりと軽い春の綿雲、そびえる岩めいた夏の入道雲、細かな砂に似た秋のうろこ雲、重い鉛色をした冬の雪雲。
病床にあっても"障子を開けさせ"て空の観察を怠らなかった子規は、その観察眼と表現力で、季節ごとに異なる雲の豊かな表情を描いています。
子規に倣って空を見やると、ちょうどこの季節の空は、一風変わった様相を醸していることに気がつきます。
夏の入道雲が立ち現れるも、さらに高い場所には秋の筋雲やうろこ雲が認められ、しばしばふたつの季節の雲が浮かんでいるのです。
夏の雲と秋の雲とが並んで広がる、そんな光景は"ゆきあいの空"とも呼ばれ、一年のほんのわずかの期間、広大な空を舞台に、ふたつの季節の雲が華やかな競演を果たします。
◇◇◇
この時節をことさら愛したのがイギリスの詩人ジョン・キーツで、友人にもこんな手紙を書き送りました。
〈何と美しい季節だろう、今は。空気もまた何と素晴らしいことか。あたりは心地よい程びりっとしている。
……ああ、春の肌寒い緑の野よりもずっと素晴らしい。
……日曜日の散歩の際にそれがあまりにも僕の心を打ったので、詩をひとつ書き上げたんだ〉
ここで触れられた詩「秋に寄せて」は、キーツの作品の中でもとりわけ有名な一作で、ことに英国の人々には、今でもさかんに愛唱されています。
霧と豊かなる実りの季節よ
恵みに満ちた太陽の親しき友よ
藁葺屋根の軒を這う葡萄の蔦に
いかに重い房をぶら下げさせ祝福を与えるかを
太陽と共に謀っている
苔生す田舎家の樹の枝には林檎を実らせ
あらゆる果実をその芯まで熟れさせる
瓢箪を膨らませ
榛の実を太らせ
遅咲きの花には次から次へと蕾を与える
蜜蜂たちがねばつく蜜で巣をいっぱいにし
あたたかな日の終わりは来ないと思うまで
◇◇◇
キーツの詩からおよそ百年後、夏から秋へとゆっくりと季節が移る様を、与謝野晶子も深い感慨を込めて描きました。
その文章「秋来ぬ」は、夫や長女と共に過ごした軽井沢での、夏の休暇の思い出が基となったと言われています。
蝉のこゑも遠くなりぬる頃の夕暮は、いとど静かにあはれなり。
山の端に紅葉のかげふかく、野はすだ草のみどりをのこして、稲の穂波うつくし。
秋のおとづれ来ざらむ、この静かなる夕暮に、わが心はいかにとむらひてる。
まだ夏の日の光のさやけさをほほにとどめてる子らは、むらさきのすみれを手に、「秋来ぬ、秋来ぬ」と、のどかに歌ひつつあるをきく。
ああこの静かなる夕暮に、わが心はいかにとむらひてる。
新しき出逢ひの日をまつ心に、いま一度わがひとすじの青春のかげをみる。
山の端の紅葉にそまつ心に、わがいのちの秋のおとづれをまつ。
◇◇◇
そうするうちに、やがて、頭上には秋めく夜空が広がります。
そこでは"砂の如き"秋のやわ雲を舞台に、人知れず神秘的な光景が繰り広げられているやもしれません。
イギリスの詩人パーシー・シェリーが「雲」によってかき立ててくれるそんな空想を楽しみつつ、空を見上げてみるのはいかがでしょう。
そして、季節のあわいの儚い時間を、どうぞ心愉しく過ごされますように。
人間たちが月と呼ぶ
白い炎に包まれた天球の乙女が
ほのかに輝きながら
夜風が広げる羊毛の絨毯の様な
私の上を滑ってゆく
彼女の足音を耳にするのは天使だけ
その足が薄織物で作った私の天幕を破いたならば
向こう側から星々が姿をあらわし
まるで金色の蜜蜂の群れのように
慌てふためき逃げてゆくのは笑いを誘う
私は風が作った天幕の裂け目を拡げる
すると寝静まった川や湖や海は
空の切れ端が落ちたように
映し出された月や星で敷き詰められる
(全訳・ほたかえりな)