自分軸の作り方 #71 簡単に揺れ動く自分。「ちゃんと泣ける子に育てよう」最終章
自分の決意が 地面に落ちた木の葉のように
ちょっと風が吹くだけで 簡単に揺れ動くような経験はありますか?
私にとってはそれが日常茶飯事です。
固く決意したはずなのに 誰かの言葉ひとつで
態度ひとつで
「えっ 私なにかやらかしたのかな」
「嫌われるようなことしちゃったかな」と、ざわざわしたり
子どもの一言に
「そんなん言うくらいなら自分でやれよゴルア」と
イラついたり
「笑顔でいよう!そしたら私も周りも幸せだから」と
何度も何度も 決意をするけれど
いとも簡単に 機嫌が悪くなる自分にがっかりして
揺れ動く自分を、ゆるせなくなる自分に気づきます。
「みんなに好かれていないといけない」とか
「いつも笑っているべき」という「べき」が湧いてきます。
「べき」を持っていて困ることは、
そうじゃない自分を非難するのみならず
他人に対しても 非難したい気持ちが湧いてくることです。
たとえば 以前わたしが抱いたことのある
「親が笑顔でいたら子供が元気になるってわかっているはずなのに
なんで笑えないって言うのかな?理解できない」というような、
人を裁きたくなる気持ちです。
これは「水不足」の状態と言えます。
自分が満たされていないと、人の水の量が気になったり
人の水を奪いたくなることも、実はあるのです。
「ちゃんと泣ける子に育てよう」という本の中に
「不快感情を安全に抱くことができる」という表現が何度も出てきます。
私は「ちゃんと泣ける子に育てよう」という本を読み感銘を受けて
これをたくさんの人に読んでほしいと願って数回にわたって
記事をまとめてきました
大河原 美以先生の この本の第五章には この本を著すにあたっての葛藤が書かれています。
「将来問題を抱えるよい子」に育てないためにためにはこうしたらいい、という話はすべて 「本当のよい子」を育てるマニュアルとなってしまい、
その「本当のよい子」を目指していくと、やはり「将来問題を抱えるよい子」が育ってしまうという社会の流れに加担してしまうのではないか、と。
大河原先生は
現代社会を「無痛文明論」という 森岡正博氏の思案から、説明してくれます。
私たちの文明が、便利で楽なことを目指して進化しているということ。
冷房を使うことが、環境に深刻な影響を与えるとわかっていても、
冷房を使わないと不満が出る。
苦しみを避けようと思うと、出産をも避けるようになるということ。
大人はこの「無痛文明」の中で「不幸にならないように、苦しみがないように」予防的に手を打って生きています。そしてその恩恵の中で生きてる存在なのです。森岡正博氏はそれを
「共犯関係」と指摘します。
・・・中略・・・
「条件付きの愛」は 親たちが理想の子を求めて「よい子」に育てたいと必死になっている現代の子育ての背景でもあります。もし今後の文明の進化の中で、遺伝子レベルでの「理想の子」が実現されるようになれば、その育ちのプロセスにおいて、もっと悲劇が起こることは想像にかたくありません。「理想の子」になるように遺伝子操作されたこどもは 親の意に反して泣いたり、怒ったりすることはますます許されないことになっていくでしょう。(P200-201)
それでも、
苦しい、悲しい、怖い、憎たらしい、腹が立つ
この身体からあふれてくる生理現象を無痛化することに
子どもはさまざまな抵抗を示します。
「生きる力」が、そこにあるからです。
子どもに安心感を持って生きる大人に成長してもらうために
「子どもの苦しみを、共に苦しむ」
という覚悟が、
親には必要なのだと大河原先生は教えてくれました。
ちゃんと泣ける子に育てましょう。泣ける子は、人を信じることができる子です。泣ける子は、自然治癒力の備わっている子です。泣ける子は、自分の不快感情を安全に抱えることのできる子です。
それはすなわち生きる力を備えた子なのです。(P206)
実は、
私の心の中には、まだ成長しきれていない
「ちゃんと泣けない子ども」が住んでいます。
悲しいを「悲しい」と
憎たらしいを「憎たらしい」と
素直に泣くことができない、子どもです。
この子の苦しみを、ちゃんと「苦しむ」こと。
不快感情を「なかったこと」にしないで、
「そこにあるもの」として受け入れること。
そこに、ちょっとまだ ハードルがあるみたいです。
自分の苦痛を、見ないふりで封印しないで
湧き上がる苦痛な思いを 「苦痛なんだね、私」と抱きしめることで
「笑って生活すべき」とか、
「ちゃんと泣くべき」いう「べき」の呪縛に、
簡単に縛られてしまう心に
からまった細い糸を 丁寧にすこしずつ すこしずつ ほどいていきたい。
自分が縛られていると、ふいてくる強い風(感情)に
なすすべもなく
「なんでなのー⁉️」と
簡単にふきとばされてしまうのです。
手足が自由な状態になれば、吹いてくる強い風に
転んだとしても、
起き上がるまでが早くて
風がやむまで しばらく地面に伏せて待つことも、
風の向きや強さを 寝転んで観察することも
グライダーを用意して、風に乗ることだって自分で選べるのだと思うのです。
それが、「不快感情を安全に抱える状態」であり、
別な言葉でいうと、
「自由」
なのだと思っています。
時間をかけて、本当に自由になれたらいいなあ・・・と思っている
今日この頃です。