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トーホクとホッカイドウとの長く深い関係をこの目で確認した旅①

おととし、去年と夏に北海道を旅行した。東北地方で生まれ育ったということもあり、北海道と東北の関係について、ついつい目がいってしまい、ゆかりの場所に足を運ぶことになった。ここでは、自分の目でみた2つの地域のつながりを紹介したいと思う。

2017年は8月に、釧路→阿寒湖→羅臼→ウトロ→斜里

2018年には7月に、厚真→札幌→長万部→八雲→函館

というコースをいずれもレンタカーで走破した。

ちょうど去年北海道に行く直前、ビッグニュースが飛び込んできた。文部科学省関連の諮問機関「文化審議会」が、2020年の世界遺産候補に「北海道・北東北の縄文遺跡群」を推薦したというニュースだ。世界遺産への登録は、国際組織の「世界遺産委員会」で決まるが、候補に推薦されたことで、登録に大きく前進したといっていい。

津軽海峡にへだてられている北海道と東北。現在は北海道新幹線でつながり、時間的にぐんと近くなった。だが、以前は青森市から函館市まで青函連絡船で約4時間もかかり、少なくとも一東北人としては、心理的に遠い感じがしていたのも確か。

しかし、世界遺産に登録されれば、北海道と東北が、縄文時代には、文化的な一体性を持っていたことを海外にまで発信されることになるだろう。北海道や東北地方を訪れる外国人観光客、いや日本人の訪問者にとっても、この地域の見方を大きくかえる効果があるのではないかと思う。つまり、登録をきっかけに、新しい視点での、北海道・東北を旅することもできるのではないかと思う。

縄文文化というと、本州の東日本、特に東北地方を中心に栄えたというイメージがあるが、北海道にも多くの遺跡がある。去年の夏に函館に行ったとき、郊外の展示施設を訪ねた。

残念ながら、北海道唯一の国宝、「カックウ」と呼ばれる土偶は、東京・上野の国立博物館で開催中の「縄文展」に展示されていて、みることはできなかったものの、充実した展示ぶりに目をみはった。

縄文時代以降も、北海道・東北の深い関係は続く。東北地方の古代史研究者の故・工藤雅樹氏(福島大名誉教授)は、弥生時代から古墳時代に、北海道を中心に栄えた「続縄文文化」の圏域として、少なくとも東北地方北部については、圏内に含まれるとするのが「妥当」であるとの見方を示している。

時代はずっと下るが、江戸時代に東北の諸藩は、幕府から「蝦夷地」警備を命じられ、兵を送り込む。寒さにある程度慣れた東北人とはいえ、厳寒の北海道での警備は過酷だった。

装備不足などで多くの犠牲者を出した。津軽藩士たちは北海道で、栄養補給のために、コーヒーを飲んでいたという逸話があり、宗谷公園に立つ津軽藩詰所の記念碑は、コーヒー豆の形をしているそうだ。

そうした経緯もあり、津軽藩主の居城があった現在の青森県弘前市は、喫茶店が多く、コーヒー文化が広く根付いているとのことだ。

現在の福島県会津若松市を中心とした会津藩は幕末期、現在の標津町に拠点を構え、開拓と警備を行った。根室に近い野付半島付近に藩士の墓が残されていた。

薄いようにも思えた北海道と東北の関係を、実際に足で歩いて確認できたことはとても有意義だった。前半はここまで、後半②は、明治時代以降のお話を続けたいと思う。(①おわり)

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