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【兵庫】日本ゴルフコース設計の父、チャールズ・H・アリソンと「廣野ゴルフ倶楽部」

「コース設計は作曲と同じである。序曲から始まって、次第に多くの楽器とテンポが加わり、感動の中にもスリルとサスペンスが漂って聴衆を飽きさせない。そして最後に待ち受けるのが壮大なクライマックス。これらの条件が備わって、初めて名コースと呼ばれる。コース設計家の使命とは、与えられた地形から最大限の『上品』と『優美』を引き出すのが仕事である。」

チャールズ・ヒュー・アリソン


日本ゴルフコース設計の父
チャールズ・ヒュー・アリソン

1883年、チャールズ・ヒュー・アリソンは英国ランカシャー州プレストンに生まれる。

5歳のころからゴルフに熱中し、腕前はスクラッチプレーヤー(ハンディキャップ0)だったといわれるほど。

オックスフォード大学時代にはケンブリッジ大学との混合代表チームのメンバーとして米国に遠征し、6勝無敗の成績を残すなど、さまざまな偉業を達成している。

造園学部を卒業後は、ロンドン郊外バッキンガムシャーにあったストーク・ポージス・ゴルフクラブで支配人を務めた。


1914年、アリソンが21歳のころ、大学の先輩であり、当時すでに設計家として超多忙な日々を送っていたハリー・コルトに誘われて、コース設計事務所「COLT.ALISON&MORRISON Ltd.」を設立。

コルトのデザインを中心的に完成させた「パインバレー・ゴルフクラブ」は、世界ナンバーワンのコースとも称され、共に設計に携わったことがアリソンを設計家として大きく飛躍させた。

後に、サニングデール、セントアンドリュースのエデンコースなど、英国・米国で多くの名コース設計を手掛けている。


廣野ゴルフ倶楽部

そのころ日本でもようやく本格的なコースを造ろうという声が高まっていた。

東京ゴルフ倶楽部・朝霞コースの移転にあたり、本場の一流設計家招聘を打診したところ、「この人を置いて他にいない」と紹介されたのがイギリスのハリー・コルトだった。

しかしコルトは既に高齢(アリソンより13歳上)で、元来船旅を嫌った。

そこで、パートナーであり信頼するアリソンを日本に派遣したのだった。


昭和の初めごろ、関西財界人は舞子ゴルフ倶楽部(現・垂水たるみずゴルフ倶楽部)、または鳴尾なるおゴルフ倶楽部のどちらかに入っていた。

鳴尾は猪名川いながわに移転し、舞子は12ホールしかなく、ゴルフ人口は増えるのに、この現状では飽き足らず、財界人の間で新しいゴルフ場を造ろうという話が持ち上がった。

ロンドン帰りでゴルフのことはよく分かっていた鈴木商店(当時の鈴木財閥の総合商社)の高畑誠一をはじめ、神戸の財界人たちが土地探しを始め、昭和5年の春、鋳谷正輔、鈴木岩蔵、伊藤長蔵の4人で、帝国人造絹糸の佐藤法潤氏から紹介された土地を三木の山奥まで見に行った。

その帰路、廣野新開で今のこの土地の前を通り、「いい場所だなあ」と4人で車を降り、歩いた。

そこは旧三田城主の子孫、九鬼隆輝くきたかてるの所有地だった。

結局、当初予定していた土地はあまり気に入らず、4人の総意で九鬼に話を持ち掛けた。

当時、舞子ゴルフ倶楽部の理事長でもあった九鬼は、すぐに理解を示し、土地は無事に譲り受けることができたのだが、あまり景気の良い時代でもなく、その後の資金集めに苦労した。


計画から半年ほどたった頃、東京ゴルフ倶楽部・朝霞コースの移転に際し、設計のためにチャールズ・ヒュー・アリソンが東京に来ることを聞きつけた高畑は、アリソンに廣野の設計を依頼すべく、自ら東京へ出向いた。

そして、1931年(昭和6)1月、寒風吹きすさぶ廣野を訪れ、いつもの長靴姿で池や谷の曲折変化を実地で確認したアリソン。

インスピレーションが湧き上がってきたのだろう、その感激ぶりは大変なものだったという。

早速、神戸に戻り、オリエンタルホテルの一室にこもり切りで3日間、後世に残る18ホールの素晴らしいレイアウトを書き上げた。

廣野ゴルフ倶楽部HPより引用

約3カ月の滞在だったが、大谷光明、赤星兄弟はもとより、後に「西の上田治、東の井上誠一」と称される設計家に影響を与えたアリソンは、日本のゴルフコース、そして日本のゴルフの近代化に大きな足跡を残したといえるだろう。


そしてアリソン来日から92年後の2023年、アメリカのゴルフメディア「Golf.com/Golf Magazine」が2年に一度発表する「Top 100 Courses in the World」(世界トップ100コ―ス)に、日本のゴルフコースからは、兵庫県の廣野ゴルフ倶楽部(31位)と静岡県の川奈ホテル富士コース(53位)の2コースが選ばれた

そのどちらもが、「日本のゴルフコース設計の父」と呼ばれたチャールズ・ヒュー・アリソン氏設計のコースである。


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