【埼玉】日本ゴルフ界のレジェンドたちと「霞ヶ関カンツリー倶楽部」㊥
東京ゴルフ倶楽部と程ヶ谷カントリー倶楽部
1913年(大正2年)、すでに神戸・六甲、雲仙、横浜・根岸、鳴尾などに外国人専用のゴルフ場があった。
そこで「日本人のための、日本人によるゴルフ場」を作ろうということで、後に日銀総裁、大蔵大臣になる井上準之助(当時は横浜正金銀行頭取)を中心に、東京ゴルフ倶楽部が発足した。
翌年6月、東京ゴルフ倶楽部は駒沢村に6ホールで仮開場し、すぐ2,300ヤードの9ホールが完成した。
しかし8年後の1922年(大正11年)には、9ホールでは