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救急車


私が高校生の時か大学生の時、お友達と駅で待ち合わせしていて、
とても具合が悪くなってしまったことがある。
少し我慢してたけど、お友達は中々来ないし、
血圧が下がってきて、もう立っていることが出来なくなってきた。

これは、歩けるうちに、助けを求めないといけないと思って、
駅員に具合が悪いので休ませて欲しいとお願いしに行った。

駅員はとても親切にしてくれて、奥の部屋のベッドに横にならせてくれた。お友達と待ち合わせしていたので、お友達が困らないように駅のアナウンスもかけてもらった。

しばらくしてお友達が来てくれたけど、その時にはもう、
びっくりするほど具合が悪くなってしまっていて、
一人では立ち上がれないし、吐き気もすごかった。

後から思えば、普通の人なら、家にいる母親に連絡するのだろう。
助けを求めるために。(私の母は、その時家にいると知っていた)

でも私は、母に連絡しようとは、これっぽっちも頭に浮かばなかった。
父の顔も浮かばなかった。今なら思うのだけど、もし私の子供がこの状態だったら、私に連絡をしてくるはずだ。駅員に頼むより先に、私に連絡をしてくるだろう。子供が産まれた後、子供のとる対応と私のとった子供時代の対応がやはり違うので、その度に色々思う。自分がピンチになった時に、頭に浮かぶのは、自分を助けてくれるだろうと信じている人だ。信頼している人が心に浮かぶと思う。

結局私は、自分で決断して、救急車を呼んで下さいと駅員にお願いした。
どんどん血圧が下がってしまって、自分でも危機感を感じたから。

救急車はすぐ来てくれた。救急隊員も駅員も、皆とても優しくしてくれた。タンカーで運ばれた救急車の中に、お友達も乗り込んでくれた。
救急隊員は、お友達に私の連絡先を聞いてるけど、
友達はすぐに分からない。それで、私が息も絶え絶え自分で答えた。

病院で点滴を受け、ベッドに寝ていたら少しだけ良くなった。
その頃、母が病院に現れて、私を見るなり、ものすごい顔でニコリともせずに私を睨みつけてる。
私は、長い点滴の後でトイレに行きたくなっていて、
立ち上がると危ないかもしれないから、母がついて来てくれた。

トイレに行く時も、とても怒っている。
無言の怒りを感じる。
そして、トイレについたとき、私にこう言った。
「どうしてもっと、自宅から近くの病院に運ばれなかったんだ。
来るのが本当に大変だったじゃないか」と。

私を心配するよりも、自分が来るのが大変なことを怒っていたのだ。

母は、いつもびっくりすることを私に言う。
私は、頭が真っ白になってしまって、何も返せない。

母の言う事には、
「私の存在はどうでもいい、取るに足らない、価値のないもの」というメッセージを含んでいて、
私はびっくりして悲しくて、真っ白になって何も言えなくなってしまう。

仮にここで反論したとしても、(相当具合が悪かったから、反論するエネルギーはなかったと思うけれど)
母は、もっと怒って不機嫌になって黙ってしまうのが分かっているから、
何も得るものが無く、尚且つ事態が悪くなると分かっている場合、
反論する意味がない。

母と、同居人のコミュニケーションは、いつもそう。
私を無力感と絶望感でいっぱいにする。
書いていて、心臓がバクバクしてきた。もうこのへんでやめておく。
 
 読んでいただいて、どうもありがとうございます。

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花鳥風月空
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