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東京歩いてふと思い出した祖父とのこと

僕は今、西日暮里に住んでいる。
理由は割と明確で、簡単に言えば東東京が落ち着くから。

青山にある会社に25歳から勤めていた。
仕事はクリエイティブ関連のお仕事。

広告代理店や、お客様のオフィスは銀座や汐留、虎ノ門、日比谷あたりが多くて、一回青山に出勤してから、タイムカードを押して、そこからすぐに銀座に打ち合わせに向かう時間がどうしてもロスしてしまうので、だんだんと打ち合わせは朝か夕方に入れて、できるだけ間に企画書の書類を仕上げたり、街中で自分が担当している商材を手に取る人たちを眺めて「どんな気持ちで手にしてくれているんだろう」と考えるようになってきたので、必然的にオフィスにいくときは、実物のデザインを確認したり、大きな画面のPCで
仕上げたり、デザイナーやエンジニアのメンバーと相談しながらガッツリとものを作る時以外は、お客さんと喋りながら案件を仕上げていた。

そのため、どうしても移動時間を出来る限り、濃密なものにしたくて、移動に便利なJRと千代田線が交錯するこの場所に落ち着いた。

友達も近所にいる。自然と行きつけのお店も増えた。
のれんをくぐれば、誰か喋れる人がいて、キックボクシングもすぐにできる。

と、言うのは案外言い訳じみたことで、なんだか綺麗事になってしまった。

本当の理由を言うね。

僕は、夕方何かしらのエンタメに触れないと生きていくことが辛い。
空いている時間を見つけたら、一番近くで見れる映画、寄席、美術館を探して入る。
もはや当たり前の時間の使い方。と言うか生活ルーティン。

もう、去年のnoteを見ていただければ周知の通り(これ、読んでくれている前提の綺麗事ね)、自粛期間というものは凄まじく生活サイクルを見出されて、意味不明なストレスから、インターネットの世界で見知らぬ人に絡みまくってしまった。

そんな折、この間ね、なんか、公園で1日仕事をしたくて、久しぶりに上野公園に行って、噴水を見ながらベンチでひたすら原稿を書いた。

上野公園の噴水からは、スターバックスコーヒー、東京国立博物館、科学博物館、国立西洋美術館が見えて、目の前の噴水から、勢いよく水が飛び出す。

とかいいながら、本音は奈良から遥々やってきてくれた、聖林寺の国宝の十一面観音様を拝みに行きたくて、外に出ちゃったんだ。

この観音様、あまりにも崇高で、もしかしたら国内最高の仏像なのではないかとも言われていて、崇高な出等で真っ直ぐに立っている色気のある丸みを帯びた全身、しっかりと見据えた目と目が合うと、時間が止まっちゃうんだ。

それで、十分に堪能した後に、また上野公園の噴水の前で、作業をした。

スターバックスコーヒーが飲みたかったんだけど、なぜかいつも並んでいて、少し入りづらかったのでセブンティーンアイスを買って帆ばりながらPCと睨めっこをした。

国立博物館、言わずと知れた国宝や文化財の宝庫。知の殿堂、もう飽きない。とにかく飽きない。

そんな中で、僕は祖父のことを思い出していた。

うちの祖父は宮大工の家に生まれて、日本美術が大好きだった。
両親が共働きだから、なんかいつも祖父にくっついて、釣りに行ったり、古刹巡りをしたり、つまり、付き合わされていた。

中でも上野界隈の博物館や美術館に付き合うことが僕の東京観光に等しくて、そこしかわからなかった。

でも、国立博物館以外は連れて行ってもらえなくて、なんでよ。と聞いたら、

「国立博物館はあまりにも見るものが多すぎる。だから3日かかるから、ダメだ」と言う理由で、そこだけ連れて行ってもらえなくて、一緒に出かけると最後は蕎麦を食べて、国立科学博物館で祖父が大好きな戦闘機を見て帰ることが多かった。

うちの祖父、そんなことを言う割にはせっかちだったんだよな。
すぐに答えを出したがるし、汗っかきで、とにかく身体中から熱量がほとばしていて、
「燃える男」とか言いながら、博物館だけ異常な時間をかけて見て回る。

その日、仏像を見た僕は1時間たらずで博物館を見終わってしまった。

もしや、祖父よりもせっかちあのではないかと思いながら、噴水の前から見える建物を眺めていた。

色々と溜まっている仕事を順番に片付けていたんだけど、祖父は僕がどんな仕事をしているか多分知らなかったと思う。

彼の記憶の中では、釣りと仏像が好きな孫だったんだよね。

可愛がってくれたのだろうかと思うと、友達のように行きたい場所に付き合わされるのか、常であって、特に自分の見識を広げてくれるからとか教育的なわけではないのだけど。

祖父の部屋は、僕にとっての図書館だった。
壁一面の本棚にある歴史小説に、海外の文献、日本美術の図鑑。

僕の楽しみはそこからよくわかんないけれど、図鑑を引っ張り出して、眺めていることだった。
あとは、祖父の釣具を勝手に引っ張り出して、いじる。

そして、怒られる。

博物館を見終わった後に、なぜだかそんな日のことを思い出していていた。

祖父が倒れた時、僕は東京にいて、とりあえず帰った。実感。

そこにはすっかり弱った祖父がベッドに寝ていたのだけど、元々、大工で、水泳をこよなく愛していたので体力はかなりあった。なんせ、平均体温が高く、いつも汗をかいていて、「燃える男」とか言っていた祖父だ。なかなかお迎えが来るわけでもなく、生きていた。

ある時期、目の病気をして、メガネをしないとほぼ視界がないと言う状況になった。

釣りもお寺を見にいくのも自慢の真っ赤なベンツで出かけていく。
移動の人だった。

気がつくと海外に行くし、思い出したように四国に巡礼に行く。

ある日、地元で車を運転していると、目の前をよろよろと動いている危なっかしい車が走っていた。

危ないなぁと思いながら信号で横並びになると、それは祖父だった。

その夜、夕食の食卓で話題に出すと、そろそろかな・・・とその日を最後に祖父は車の運転を止められた。

外に出て、いろいろなものを見にいく祖父は、釣り道具を全部僕に渡し、最後の小遣いだ!!!と孫たちにお金を配り始めた。

僕はそのまま釣具屋に直行し、使いたかった装具を揃え、憧れのブランドのコートを買った。
思えば、今年の冬もそのコートで乗り切った。10年だよ。もう。物持ちいいなぁ。ブランドの人もびっくりしていた。
毎年、メンテナンスをしながら使っている。愛機というやつだ。

気がついたら話は上野から財布の中に飛んでいた。

そんな上野公園で国立博物館をめぐっていて、さらっと出てしまった自分。
3日、かかっていない。

それは釣りをこよなく愛し、ゆっくりと飽きもせずにウキが沈むか否かに集中している祖父の忍耐力や集中力がすごいのか、僕がじっくりとものを見ることができないのか、それともこの日は見るべき展示が少なかったのか、コーヒーを飲みたくなって外に出たのかはわからない。

そういえば、祖父がなくなった時に、棺桶にダイスケは入れたいものある?と言われたときに、聖林寺の十一面観音の写真集を入れた。

なんか、旅にでも連れ出そうと思っていたんだよな。

いっつも東大寺でお寺の人によくしてもらった話ばっかりするから、じゃあ冥土の土産に僕が大人になってから組んだ奈良ゴールデンツアーを案内するから!
と言いつつもあんまり乗ってこなかったんだけど、最後に2人で見るならこれしかなかったと思っているので、棺桶に入れた。

僕はたまたまあの日、祖父の車の運転を見てしまったので、彼の足を奪ったのかなとかずっと思っていたんだけど、まさかね、東京で見れるとはねとか考えながら、美しき国立博物館の建物を眺めていた。

近場で見れましたよ。と。

気がついたら夕方だった。足元にダンゴムシがたくさんいて、僕のズボンを必死に登ろうとしていた。
僕はそっと地面に戻して、いつの間にか行列が途切れていたスタバでムースフォームラテを買って、飲んで、寄席に行った。

こんな祖父と過ごした時間をサッと出来るように、僕は西日暮里に住んでいるのかもしれないね。それって贅沢だよね。

余談ですが東京についてのzine作りました


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