「笑える!」 - 先の見えない病気の僕に親友が言ってくれた何気ない一言が僕の人生を取り戻させてくれた話。
「笑えるなー」。
15年以上付き合いがある、親友から言われたこと。
普通、自分がその時置かれた状況ではまず、かけられるとは思っていなかった言葉。
僕は、この一言がなかったら、今、こうして文章を書き綴ることも、大好きな企画の仕事もできていなかったかもしれない。
今から約4年前、僕はあまりにも多忙で、倒れた。事情が事情とはいえ、3ヶ月程、睡眠時間もまともに取れずの結果だった。
理由は、後日談ではあるけれど、過労。
しかし、その時は「なんだから疲れているな」だったり、「なんだかすぐ終わるべきお仕事も終わらない」だったり、
待ち待ち焦がれた大好きなバンド、blurの再結成来日公演最前列もなんだか楽しくなかったり、していて、何かがズレていた。正確には、「何かが起こっていた」だ。
そして数週間後、僕は出勤のために自宅を出たら、駅までの道中で動けなくなった。歩くことができず、そのまま向かう予定だった、仕事の師匠との打ち合わせに「なんかおかしくて、動けなくて、行けないんです。」
と、言うしかなかった。
職場も同様。家族も同様した。どうしたらいいのかわからなかった。
過労だろうなとも思っていたけれど、「あ、いわゆるこれって病んでしまった?もしかして」。とも思った。知識もゼロだったから。
まず、やったことは、すぐに予約が取れる心療内科を受診することだった。
何もわからなかった。だから、言われるがままに「双極性障害」の診断に言われるままに、大量に処方された薬を飲んだ。
(普段からめっちゃ楽しそうに話すので、「これは躁状態ですね」と若い医師に言われた。でも、友人からしたら「いや、通常営業じゃね?」と思っていたらしい。
その後、1月程休み(とはいえ、仕事が気になって気になって、リモートしていた)、復帰。復帰に伴い、また処方される薬が変わった。
結果、会社近くの駅で倒れた。動けなくなった。
そのまま、地元の病院に入り、診断を受けると、どうやら、初動の双極性障害は、誤診の可能性が高く、飲むべきではない薬の影響で、
身体が言うことを聞かなくなっていたらしい。
そこから、過労であることは事実のため、僕は、小さい頃からのかかりつけの地元の病院に疲れを取るために入院した。
やることもないし、身体も動かないので、毎日ひたすら、ポケットラジオで受信できる範囲の番組を片っ端から聴いていた。
(今でも某「おはようモーニング!」と聞くと病院の朝食の時間を思い出す)
先が見えなかった。誰が治してくれるのかもわからない。誤診のまま、薬を減薬することもレアケースのため、難しい。でも、身体は言うことを効かない。
そんな中、家族の問題などが重なり、僕は過労のはずが、重度の強迫性障害になった。
ある日は、都内の病院に茨城県から通うためにも、鍵を閉めたか気になり、茨城に戻り、確認を繰り返し、目的地に向かえない。
またある時は、自分のレコードコレクションが壊れていないか気になり、合計5000枚くらいあるレコードを一枚一枚、
中身が割れていないか確認を続けたり、「大丈夫だよ」とわかっていても、気になって仕方がなく、身体が勝手に確認作業を止めてくれなかった。
はっきり言って、生きている意味も見出せないくらい、地獄だった。
この事は同僚以外には伝えていなかった。理由は「そんな余裕がないから」だった。
ひょんなことから昔馴染みの友人と連絡をすることになった。
正直に、自分が置かれている状況を伝えた。確認作業が止まらないことを。
そしたら、ほとんど休みがないにも関わらず、彼は茨城まで来て、僕のレコードコレクションを並べ直した。そして放たれた一言。
「この光景、笑えるなー」。
驚いた。みんな、気を使い、「心配だね」「大丈夫?」ばかりで、心配は有難かったけれど、自分としては、バリバリと案件をこなしていた記憶の中で
生きていたため、なぜかその親切が、「自分が終わってしまった」ような気がして、重荷だった。
彼は、初めて、対等に、そして、フラットな意見を言った。
要は「あまりにもこの確認作業と、不安感が笑えて仕方がなかった」。らしい。
でも、僕は救われた。対等にまだ見ていてくれる人がいたと言う安心感と、「正直なことを気を使わず伝えてくれる信頼感」からだった。
その後、「不安感の解消には自信を取り戻すが1番!毎日合コンでもしてな!薬飲まなくていいよ!」と言う謎の心理治療を勧めてきた医師の恩恵もあり、地獄の脅迫性障害から解放された。一瞬であれだけ悩まされた症状が消え去った。
よく、周りに精神的な疾患の方がいたりすると、まず、本能的に心配する。当たり前だけど。
でも、当事者である自分は「なってしまったこと」に対して、あまりにも後ろめたい気分になる。
だから、「普段通り」に接してくれることがどれだけ嬉しかったか。
あれから2年。僕は、幸せなことにクリエイティブディレクターとして働いている。症状も全く出ていない。さらには、付き合うことになるとは思ってもいなかった人たちと、物作りをしていたり、参加したりしている。
もし、あの時、信頼する友人がただ、心配するだけだったら、今の僕はいないかもしれない。
不謹慎に思われうる可能性がありながらも、笑ってくれた友人に感謝している。
今は「当たり前だと思うこと」ができていることに感謝している。
それも全て、あの日、彼が自分の姿を見て、笑い転げてくれたからだ。
本来、言うべきことではないかもしれない言葉を使ってくれた彼。
そもしかしたら悩んで勇気を出して言ってくれたのかもしれない。
たった一言の言葉が本来使われる意味でなくても、誰かを支えてくれるのだって実感した。
後は、余談として書いておくと、例えば何かしらの病気になった時に、自分自身の振る舞い方にもかなり学ぶ点がありました。それは「休みのプロになること」。どうしてもタスクや仕事が気になり、口を挟もうとしたりしてしまうんだけど、まず、休まなきゃ!なのでした。
あと、周りの方が悩みを聞いたり、「ああしたほうがいいよ。こうしたほうがいいよ。」と学んできたことや見聞きした事でアドバイスをくれたりするけど、絶対に大切だと感じるのは、
「とにかくプロに任せよう!」です。
間違いなく、お互いによくないから。
周りにも。餅は餅屋。
だから、周りは状況を理解してあげつつ、寄り添ってあげるだけ。そして何らかの外的要因があれば解決して、サポートしてあげるだけ。
病院とかに無理矢理行ってもらう手段を取り、プロに見せるのも、優ししさだよ。