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人間の心情は映画で表され、その演出や表現が登場人物の感情を映し出すピースになっているかもしれないと感じただけの話。

映画をよく見ています。
今週は、3本。

1.タランティーノ新作、
「ONCE UPON A TIME IN...HOLLYWOOD」

1969年のある数日間を、過去に売れたマカロニウエスタン俳優を演じるレオナルドディカプリオと、そのスタントマン役であるブラッドピッドの友情を中心として、ハリウッドに住む人々やヒッピームーブメントの勃興に対しての当時の状況をある1つの事件、「チャールズ・マンソンによるシャロンテート殺害事件」を軸にそれぞれの数日間が1つの結末に結実していくも、それを見事にエンターテインメントや、彼の特徴であるカルチャーへのオマージュを昇華させた作品。

2.新しい英国ブラックユーモア映画の1つの金字塔になる!?
「やっぱり契約破棄していいですか?」

あまりにも書く小説が売れなくて、自殺のことばかり考えている青年が、自殺場所で偶然出会う、「自殺請負人」。
死にたくても無事に死ねない彼と、暗殺者としてのノルマがかかっている自殺請負人。彼ら自身の思惑は一致するはずが、まさかの原稿が編集者の目に留まってしまい!!!彼ら自身の追いかけっこがスタートする。
しかし、お互いに運悪く、偶然が偶然を呼び、「死」というテーマの元に周囲がガンガン巻き込まれていく。
これだけだと、単なる追いかけっこコメディで終わるんですが、そこは質の高い英国映画。
セリフ、モチーフの1つ1つがロンドンブラックユーモア。
それは、英国ロックの1 つの金字塔であるThe KInksのレイ・デイヴィスの世界観のような、視覚的な情景描写を暗いだけ、悲劇的なだけでは終わらせず、1つの「大衆として受け入れられるポップさ」として成立させるテクニックのような世界観でもってコーティングされている。
だから、「自殺」がテーマにされていても、笑う。
つまりは、それが1つの「文化的なオマージュ」であるとも言える。

アメリカが世界のストレートな、スタンダードと良くも悪くも定義されるのであれば、そのカウンターはやっぱりイギリスなのではないかと感じさせられる、味わい深くも「悲劇も表現方法次第では、笑うしかないコメディなんじゃないか」と思わせてくれる、ブラックコメディの傑作。

3.アメリカの新鋭スタジオ、A24による新作「HOT SUMMER NIGHTS/ホット・サマー・ナイツ」

ここ数年、Netflixではストレンジャー・シングス。映画ではレディ・バードやスリービルボードといった、「生まれながらにしてその場所から出られることのない、いわゆる閉塞的な世界の中で生きる人々」。そこには鬱屈的なある種の諦めもあれば、レディ・バードのように、「自分自身を貫きながら、新しい世界への脱出」を試みる場合もある。
ここで描かれるのもある1つの田舎町での1つの夏の物語。
それはあまりにも残酷かもしれない閉鎖感。でも、まだ、「何者になればいいかもわからない不安定な若者」達が街の中にある1つ1つの自分たちが触れられる環境の中で、諦めながらも全力で何かをに成し遂げられなくても、生きていこうとするそれぞれの「夏」をロードムービー的に見続ける1本。
あまりにもきらびやかなアメリカの田舎街のネオンサインや、多ジャンルに渡る楽興によるきらびやかなサウンドトラック。
それはまるで、1つのジャンルに固定されない音楽で作品を飾ることにより、「出口の見えない彼ら」の不安定な心をせめてもの彩で可能性を提示してあげているかのようだった。

noteも少しだけ書きました。雑記です。
https://note.mu/cacao0921/n/nde6809c14f22

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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。