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そこに没頭はあるのかい? - オンライン配信をみるということ

東京が9月になった。少し夜は涼しいね。

僕はといえば、そんなに変わらない日々を過ごしている。

清澄白河のなんとなく言葉にできない空の広さに惹かれ、下北沢の雑踏の中で知らない誰かの創作を見て、浅草、池袋、上野、新宿で落語を見て、
友達とご飯を食べて、お茶の水や原宿でレコードを買って、日暮里や新宿でキックボクシングをして、銀座、有楽町、池袋、渋谷で映画を見ている。

神保町でラーメンを食べて、あとはその辺をふらついている。

4月から6月に比べて夢中になったことがある。

「オンライン配信でエンタメを見る」ことだ。

2020年は何か特別な年になってしまった。それは自分たちの価値観や、行動様式をある程度アップグレードしながら模索する世界。
何が起きるかわからないまま、他者に接するという1つの壁が出来上がってしまっている。

その中で、エンタメ、BtoBのセミナーは、「手段」としてオンライン配信を選んだ。

映画や寄席、劇場や夏フェスに足を運ぶことは、コンテンツに触れることでもある。

僕は、たくさんたくさん見に行っている。

正直もっと見ている人はいるのかもしれないけれど、空いている時間の隙間を埋めていくかのように、夕方、時間になるとどこかの施設に何かしらの創作物に触れにいく。

僕の大好きな現場は一時期、全てがPCやテレビの画面越しになり、インターネットの恩恵を受けざるを得なくなった。

落語も、ライブも、お仕事に必要な情報収集も、友達との食事会も。

なんとなく感じてしまったことは、「身が入らない」だった。

正直、PCの前では、なんでもできてしまう。やろうと思えば仕事もできるし、友達と連絡も取れるし、上司からの連絡も受けることができる。

僕が必要としていたもの。それは、気持ちを切り替えるための没入感だった。

ゲームや、VRの世界に入ることは、それはそれは異世界でもある。
でも、自分から足を踏み入れていき、集中しなければならない。

僕はオンラインでのエンタメ、記憶に残ることが少なかった。気が散ってしまった。

現場が再開して、貪るかのように会場に行く。そこであるのはソーシャルディスタンス。

それでも、あくまでそれは人との距離の話。気をつければいい。

感じたこと、「会場で見ることは、強制的に携帯電話の電源をオフにして、自分と作品だけの世界に入り込むこと」だった。

他のことができなければ、それはそれで目の前の出来事に集中することしかできない。

必然的に集中して見ちゃうんだな。

僕は実は、家で映画を見たり、本をゆっくり読むことができない。

しかるべき場所で、集中して、それ以外の出来事を削ぎ落とされた中で触れ合うことができる。

ザッピングとは違うのですよ。

だから、現場に見に行きたかった。

コンテンツに触れる? それも大事。

でも、それ以上に、電波から切り離されることが一番大切だと気がついた。

向き合いたかったんだ。それを望んでいたんだ。

学校に通っているけれど、どうしても他のことができてしまうと、きちんと聞くことができなかった。

だから僕は今日もその世界に浸りに行きたい。

「いつか落ち着いた時期が来たら存分に楽しむがいいよ」。わかるよ。

でも、そうじゃ無いんだよ。

目の前のコンテンツに触れることと、友達と時間を供することとも違う出来事。

明日、映画、2本見るんだ。

渡欧日では無い世界で。空間の中で没頭する幸せ。

結局そうだったんだなぁ。

ながら○○なんて、まぁ、テレビを見たりラジオを聴きながら仕事するくらいでいいかもしれない。

向き合いたい。そう思った8月の終わり。

9月の始まり。僕の日常は大して変わらないけれど、その中で向き合う。

そう、それでもサカナクション の配信の趣向を凝らした内容は素晴らしかった。

同じことしないでいいよ。できることをできる場所でやればいいよ。

またね。

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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。