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この町の住人でも、旅人でもない

この町に家を購入した

10年以上はイギリスに夏と春、来るたびに、ツレの姉の家に1ヶ月半とか2ヶ月とか滞在していたので、この町は知り尽くしていると思っていた。

去年の2月、ロックダウンのため日本に帰国できなくなった時は、食品など必需品以外の店は閉まっていて、一部の仕事と近隣以外での外出が許されてなかったので、毎日運動のため1日3時間程この町周辺を歩いた。

ロックダウン中に不動産サイトで検索した家を内見し、ロックダウンが解けた時、この町に家を購入した。

その後私はビザの関係で一時帰国し、ツレは契約のため残った。イギリスが3度目のロックダウンに突入する直前に戻って、今初めてイギリスの自分の家に住んでいる。

ロックダウンで店は閉まっているが、駅のキヨスクの売店で古本のヘミングウェイのエッセイ「移動祝祭日」を見つけた。


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駅で古本漁り

このエッセイの中でヘミングウェイも、滞在先のパリの街角で古本を漁っている。

パリ滞在中20代だったヘミングウェイは、日々出会う人たちや町のちょっとした発見に心躍らせている。

1回目のロックダウンで半年くまなく歩いたこの町は、ツレとの初めてのデートできた時から20年以上経っているし、私はヘミングウェイのように若くもない。

でも競馬でやっと生活費を稼いでいたヘミングウェイのように、私もお金がなくて、どうやってお金を稼ぐかを考えたり、仕事がなくて、自分の仕事とは何かを一生懸命考えたりしている。


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初めて1人で町を散歩する

このところツレは風邪気味で鼻水が止まらないと言うので、1人で散歩と買い物に出かけた。

家を出ると大きな犬を連れた男の人とすれ違ってその人が「こんにちは」と言った。

イギリスでは日本と挨拶のタイミングが違うように思う。

別に誰も彼も挨拶するわけではないが、なぜか全然知らない人に微笑みかけられたり、挨拶されたりすることが普通。

といっても全然知らない人にされるのは1日に1回とか2回とか、そう多いわけではない。この時も何も考えず挨拶して買い物に行った。

その後にちっちゃな5歳位の女の子とお父さんにもすれ違った。女の子が私の帽子を見て「素敵な帽子!」と叫んだ。

お父さんが「きれいな帽子だね「!」と娘になのか私なのになのか多分娘だろうけど言った。

無地のベレー帽でなんということのない帽子なのだが。


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「また会ったね、こんにちは」

帰りに、さっき会った大きな犬を連れた男の人と、またすれ違った。

私は何か、人と距離を縮めたい気持ちが、めんどくさい気持ちによく入れ替わる。

同じ人かなと思って避けることにして、わざと道の反対側にわたって歩いたのだけど相手は全然気にしてないようで「また会ったね、こんにちは」と言われた。なので私も「こんにちは」と返した。

1人で歩いていてもいつも話しかけられるわけではないが、この日はここの家に入居して初めて1人で歩いて、3回話しかけられた。わずか30分ぐらいしか歩いていないのに。

いつもツレと散歩に行く時も、ほとんど必ず誰かに話しかけられる。ただ普段はツレが返事をして私は黙っているので、この家に住んで初めて1人で歩いて、1人で返答し何かここに住んでいるんだな、と言う気持ちになった。

ちょっとスコット・フィッツジェラルドの有名な小説「グレート・ギャツビー」の描写を思い出した。

話者のニックがロングアイランドに引っ越してきた日、すれ違った人に道を聞かれた時初めて「自分はこの町の住人になったのだな」と思った、あの描写だ。


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まだ自分は旅人なのか

スコット・フィッツジェラルドとの交流の話が、ヘミングウェイの本「移動祝祭日」にも書かれている。フィッツジェラルドと初めて会った時や、オープンカーでリヨンからの旅で雨に降られたりした時、スコットが酔っ払って奇行に走った時のことだ。

でも今の自分には、フィッツジェラルドの書いた「グレート・ギャツビー」の挿話よりも、パリに滞在したヘミングウェイの若い時の状況の方が似ているかもしれない。

まだ家族ビザを受け取っていないで、旅行ビザで来ているという意味では、住人ではない。

けれど、自分の家に住んでいるのだから旅人でもない、一時滞在者とでも言ったらいいのだろうか。





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