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ハドリアヌスの長城のローマ人たちの暮らし

イギリスで寒い日の過ごし方といえば博物館、美術館です!

何しろイギリスは博物館、美術館が無料ということが普通です。(特別展は有料)

私が住む英国北東部の博物館も無料で、何かのついでに近くに行くたびちょこちょこ見ています。

とても広いのでもう3回も行ったのにまだ全然見切れていません。


Great North Museum 
遺跡の石に映画のようなイメージ映して博物館訪問者の想像力を高める工夫がされている。


ハドリアヌスの長城 Hadrian’s Wall


イギリスにローマ人が暮らしていた時代があった!

メインの展示は、紀元後200年頃ローマ人が築いた「ハドリアヌスの長城」付近から発掘された石碑です。

この展示の説明はローマ人の視点で描かれているため、現地人🟰当時のイギリス人はバーバリアン、「野蛮人」と呼ばれています笑😆

ローマ人たちは私が住んでいる英国北東部から北西部にかけ、万里の長城のような壁を西の端から東の端まで築いたようです。

この壁は「ハドリアヌスの長城」と言い、我が家から数分のタイン川(冒頭写真)の南側にも、当時ローマ人が住んでいた村の遺跡があるのですが、タイン川や長城の周辺で発掘された石碑が展示されています。


映写機の映像を当て、石碑に書いてある文字をくっきり出す。


ミューズの彫刻

AD 200年頃のイギリスはすでに多民族国家ー野蛮なイギリスにローマ文明が!


今のイギリスは国際結婚がありきたり過ぎて「国際結婚」という語も死語の多民族国家ですけど、1800年以上前にはローマ人がイギリスにやってきて、住みついて進んだローマ文明を、イギリスにもたらしたんですねー。

ローマ人は兵士、石大工、医師、ポエット(詩人)、奴隷、兵士の妻、などで、石に書いてあるラテン語には、人の名前と仕事や生活に類する記述とが書いてあるらしいのです。考古学チームが解読したローマ人が10人ほど、この博物館で紹介されています。

発掘物から特定した氏名、職業、出身地、配属地などが1人ひとり記述される。
このイメージ画像は兵士の上官アウレリアス・ジュリアヌス

イギリスの荒地で、ローマ人たちがどう暮らしたか?


上の写真がローマ人のイメージで、それぞれ多分俳優らが衣装を着て撮影した下に、彼ら自身の言葉として1人称で語られています。

例えば、騎兵の荷物を運ぶ、ラバ追いのマルクス アウレリアス ビクトール(実在し、石碑に書かれていた名前)のイメージ写真下には、以下のように記述されています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なあにが騎兵だ、よく聞けよ。
俺たちラバ追いがいなければ、騎兵なんて無意味さ。
俺が誰かって?
俺はマルクス・アリレリアス・ビクトール。
俺がいなきゃ、貴重品や必需品を安全に城塞のあっちこっちに運ぶなんて無理な話さ。
だが墓石にはラバ追いのことなぞ書いてない。
墓石見る限りは、野蛮人を追い立てる騎兵だけがヒーローさ。
見てろよ、
俺の墓には必ず俺の肖像画を彫らせる、
ラバに乗って棒を振り回す勇士を!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


文字岡部上がらせる動画影写されているところ。
彫刻に魚、鳥、馬などの動くイメージが断続的に影写されている。


おそらく考古学者は、このラバ追いの名前と肖像画を発掘して驚いたのでしょう。

もっと上の階層の職業ならともかく、このラバで兵士の荷物を運ぶ、いわば「荷物係」のマルクス・アリレリアス・ビクトールは非常に高い誇りを持っていたと考え、そこで考古学者がこのように書いたのでしょう。


他には別のローマ人が刻んだ石碑の文字には何か日記かメモのように、家族を失って嘆いていることが書かれていて、家族への思いは、今とあまり変わってないんだなって思いました。

1800年以上前のローマ人が身近な人のように感じられた、ユニークな展示でした。


刻々変わる映像に映される風景は、英国北部の荒地や虹、馬など
石碑に雲が流れ嵐が来るかのようなイメージが映し出される。


*この記事はインスタグラムにも投稿しました。iPhoneミニ動画のLive Photosを活用したら面白い動画になりましたので、よかったら覗きに来てください🫣。


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