ヒーローと私。~カラオケ店員の場合~
「てんちょー、松田まだっすかー?」
一ノ瀬さんがインカムで呼びかける。
「んー、まだ来てないねー」
「最近毎回っすよねー」
「そだねー」
そだねじゃねーよとぼやきながら、一ノ瀬さんは目の前のオーダーをテキパキと捌いている。
金曜夜のカラオケ店の厨房は戦場である。
学校終わりの大学生や、仕事終わりの会社員グループ。大体みんな居酒屋でたらふくお酒を飲んでから来る。朝まで飲み放題のフリータイムで入るから、酔ったノリで、恐ろしいほど雑に注文してくる。
シフトより10分遅れて松田さんが来た。いつも決まって5分か10分遅刻をするのだ。
「遅いですよ松田さーん」
「ごめんね、雛っち」
私の名前は浅倉雛乃で、先輩たちはみんな私のことを雛っちと呼ぶ。松田さんは軽い感じで、一ノ瀬さんは優しい感じ。
「マツ、今日はなんで遅れたん?」
「ちょっと電車が止まっちゃってー」
「お前チャリだろが」
「あれぇ、そうですっけー?」
こんな感じでなんとなく有耶無耶に、煙に巻かれるのが定番のやり取り。
いざ仕事となると、松田さんは頼りになる。
「吉祥寺のスピードスターと呼んでくれい」
ふざけて言うが、本当に松田さんのドリンク作りは超絶速くて、しかも正確。だから、店長も一ノ瀬さんも多少の遅刻は大目に見るのだ。
閉店は朝の5時。最後まで残った泥酔千鳥足の熟女カップルを送り出し、全ての片付けを済ませる。
「おつかれー。雛っち、メシ行かない?」
インカムから、一ノ瀬さん定例のお誘い。
「良いっすね」と松田さん。
「バーカ。お前じゃねーよ」
なんだかんだ言いつつも、ほとんど毎週のように3人で、明け方の居酒屋に入り浸っている。
私は大学3年生で、松田さんは4年生、絶賛就活苦戦中。このお店では、ほぼ同期。7年目のベテラン一ノ瀬さんは、夢見るフリーターだ。
店長は半年から1年くらいで頻繁に変わるから、アルバイトにとって一ノ瀬さんは支柱のような存在になっている。
初めて3人で飲んだのは、2年前の冬。
「俺、ヒーローになりたいんだよね」
一ノ瀬さんが、ぽつりと言った。
「ヒーロー、ですか?」
私にはあまりピンと来なかった。
「小さい頃から戦隊ヒーローとか仮面ライダーとか大好きでさ、小学校の卒業文集にも“ヒーローになりたい”って書いてるんだ。さすがに中学の時はちょっと恥ずかしくて、売れっ子俳優とか書いたけどね」
なるほど。だからアルバイトをしながら舞台に出たり、エキストラをやってたりしてるんだ。
「素敵じゃないですか。私なんて、なんで大学に通ってるのかもわからないです」
本当にそう。やりたいことも特にないし、親に大学は行っとけって言われたから、そうしてるだけ。
「そっか。でも雛っちは大学生、似合ってるよ」
なんだかよくわからないけど、ただ肯定してくれたのが、その時の私には嬉しかった。とても漠然としているのに、一ノ瀬さんが言うと、心からそう言ってくれているように思える。
それから何回か、一ノ瀬さんが出ている舞台を観た。通り魔に殺されたり、ストーカーになったり、騒音のうるさい隣人を殺したりしていた。
ヒーローとは遠く離れた役ばかりだけど、別に何者かになりきっている一ノ瀬さんの演技が、とても好きだった。
「役者辞めよっかなぁ」
居酒屋からの帰り道、一ノ瀬さんが、ぽつりと言った。
「え、なんでっすか?」
驚いて声が出ない私の気持ちを、松田さんが代弁してくれた。
「もう、そろそろかなと思ってさ」
「いやいや全然です。まだ若いです。続けた方が良いです。俺、一ノ瀬さんの演技、大好きですもん」
興奮気味に、珍しく敬語になった松田さんが代弁してくれた。私だって一ノ瀬さんの演技大好きなのに、なんで。
「いや、ヒーローって基本、若いじゃん」
事実過ぎて、松田さんも声が出ない。
「25歳過ぎたし、ヒーロー役のオーディション、毎回書類選考で落ちてるしね」
正直なところ、一ノ瀬さんのルックスは残念な部類に入る。とてもイケメンとは言えないし、背は低く、既に前髪が後退し始めている。
「ヒーローだけが役者じゃないじゃないっすか」
松田さんの言葉が、いつもより重苦しい。
「ヒーロー、なりたかったなぁ」
一ノ瀬さんの発した言葉が、白い息と一緒に宙を漂い、消えて行った。早朝の凍てついた空気が、年末が近いことを告げていた。
忘年会シーズンは、普段の週末の何倍もキツい。注文されるお酒や食事の量も、部屋の汚され方も、いつもの比じゃない。
私は大量のフードを作りながらも松田さんの超絶ドランカーぶりを見て、ニヤニヤが抑えられない。
そしてそれ以上に、他店からのヘルプスタッフに指示を飛ばしながら、縦横無尽に店内を走り回る一ノ瀬さんに、感動する。
提供が遅れてヘルプさんが怒られていると、ダッシュで代わりに謝りに行く。交代する時も、しっかり指示出しを忘れない。その後も喧嘩の仲裁だったり、嘔吐物の処理だったり。一ノ瀬さんが3人くらいいるように見える。すごいなぁ。
「一ノ瀬さんはヒーローですよ」
そうインカムで言ってみた。
「あ、俺もそれ一票」
松田さんがかぶせる。
「ありがとー。で、何票入ったらヒーローになれるん?」
忙しい中でもしっかりボケて返す。やっぱり一ノ瀬さんはヒーローだと思う。
狂乱の年末が終わり、いつもの居酒屋で3人で打ち上げ。
「俺、戦隊ヒーローのオーディション受かったんだよ」
真っ赤になった顔で、嬉しそうに一ノ瀬さんが言った。
「マジっすか!?すごいじゃないですか!」
松田さん、代弁。
「まぁ・・・、脇役の、敵役だけどね」
泣き真似をして、戯けてみせる一ノ瀬さん。
でも、すぐに満面の笑みに戻った。
「俺、もうしばらく役者、頑張ってみるよ」
そう言った一ノ瀬さんの顔は、赤レンジャーみたいだと、私は思った。
完