カンボジアで逆布教活動を行う午後
カンボジアという国は仏教色が濃いかといわれれば、濃いことには濃いのだがそこらじゅうにお寺があるような国ではなかったような気がする。とはいえ、一週間の滞在の中で一日に一度は橙色の袈裟を召した僧侶を見かけたから間違いなく日本よりは宗教色の強い国家であることに違いない。
そんな僧侶と話す機会なんぞ、この旅の中にはないだろうと思って迎えた最終日のこと。帰国のフライトは夜だったため、プノン・クロムというシェムリアップ郊外の山へ訪れた。初日に赴いたアンコールワットをもう一度見てもいいかと思ったが、どうせならちょっと違うところに行こうと思い、少し足を延ばしたのだ。この旅で一番お世話になったトゥクトゥクのおっちゃんが朝の9時頃、ホテルまで迎えに来てくれた。
午前中はトンレサップ湖という琵琶湖の4倍もの面積を誇る湖へ、そのトンレサップからプノン・クロムの山の麓に着いたのは13時過ぎ頃だった。
雨季のカンボジアになかなか晴れ間はなく、大概曇り空の中で過ごしていた。そのため直射日光はなく、思っていたよりも暑くはない。むしろ日本の暑さの方が深刻であるように感じたのが率直なところである。その曇りのせいでアンコールワットの朝焼けを見ることはできなかったことは唯一の心残りではあるが。
しかしこの日だけは天候が異なった。正午あたりから太陽がのぞきはじめ、僕がプノン・クロムに足を踏み入れたときには猛烈な日光が照りつけた。そんな中、急な階段が続くのである。
階段を5分ほどで登り終える。階段を登った先には、チケットカウンター的な場所があった。アンコール遺跡群に立ち入る際はその遺跡群の入場口にカンボジア人のおじさんがチケットを拝見する。このプノン・クロムもその遺跡群のうちの一つである。
チケットカウンターといえど、カウンターなんていうものはなく、半家屋の屋根しかない小屋のような場所におじさんはハンモックで寝そべっている。かなりマイナーな部類の遺跡群であるため、観光客は殆ど来ないのだろう。あるいは夕焼けや朝日の隠れスポット的な位置づけであるこの遺跡には日中人が来ないのだろう。
初めての海外旅行とかであれば、「しっかり仕事しろよ」と日本的価値観で考えてしまうところだが、今となっては「起こすの申し訳ないな」という摩訶不思議な価値観を持ち合わせるようになってしまった。
ただそのおじさんは寝起きにも関わらず上機嫌で僕のところまでやってきた。僕は彼にアンコールパスを手渡す。
「Final day?」
アンコールパス3日券の最終日にあたるのが今日だ。「イエス」と答えるとおじさんは続けて口を開く。
「Where are you from ?」
出身を聞かれるのはこの旅で何度目か。「トゥクトゥクに乗らないか」という勧誘と同じくらい言われた気がする。
「ジャパン!」
着ている服なのか、眼鏡なのか、血色の欠ける顔色のせいなのか、かなりの確率で韓国人に間違われる(韓国人を血色のない人間と差別しているのではない)。そのため、おじさんも「そう来たか」といったような感情が垣間見える、少し驚いた表情をしている。
「Oh~ Japan. アリガトウ。アジノモトオ」
日本といったらで真っ先に思いつくものが「味の素」!? 料理研究家リュウジがこれを言われたらどれだけ喜ぶのだろうか。まあ味の素10フリくらい喜ぶのではないだろうか。知らんけど。味の素は日本人以外にも通じる旨味を引き出しているということだろう。
「イエア!イートウェル、リブウェル!」
と言おうと思ったが、さすがに通じない気がしたので愛想笑いをして「ありがと~」と日本語で感謝をし手渡したアンコールパスを返してもらう。
「1㎞」
おじさんは右手で坂を指さして口を開いた。つまり1キロもこれから続く坂を歩かなければならない。
だがここまで来て引き返すわけにもいかない。手に持っているわずかな水を喉に流し込み、日本から持参した塩分チャージを口にしてその坂を登って頂上を目指した。
1キロあったのかは分からないが、道中は壮大な景色に時間を忘れて歩くことができた。高い建物は全くないし、近くにある山もない。ここはカンボジアの全てを見渡せる山である。
チケットカウンターを出てから20分ほどだろうか。お寺へと続く階段が突如として現われる。階段を登り、境内に入り、しばらく歩くとようやく遺跡感を醸し出した古びた階段が待ち受けた。
その階段を最後の力を振り絞って駆け上がる。灼熱の太陽が肌を刺す。堂林翔太のカープ応援タオルで汗をぬぐい、堂林翔太が描かれたうちわで風をあおいだ。暑い。ひたすらに暑かった。
頂上へ着いたときその暑さが吹き飛ぶほどの絶景がそこに……とはいえず、頂上への道中からの景色の方が綺麗でした。その代わりといってはなんだけれど、頂上一体は木が生い茂っていて、日陰が多く心地よい風が吹く場所だった。その木々の合間から景色が見渡せる。ベンチは日陰に来るように設計されている。
頂上にいたのは僕と、僕の連れである日本人の人間(おじさん)と、橙の袈裟を召した僧侶の3人だけであった。そのうち僧侶はベンチに腰掛け、何もせずにぼっーと景色を眺めている。頂上からの写真を撮っていると、僧侶が連れに声をかけた。なんと声をかけられたかは分からないが、随分と長く話している様子だった。ただ盛り上がっているのは一方的に僧侶の方で、気になったので近づいてみる。
「お前も日本人か」
無論英語で言われた。橙の袈裟は少し色褪せ衣からのぞく細い腕にはびっしりと何と書かれているのかよく分からない、呪文のようなタトゥーが入っている。鼻の下と顎下には立派な髭が生えているが黒い髭と焼けた肌のせいなのか、「ヤンチャな仙人」という表現がよく似合う僧侶であった。
「はい、日本人です」
僕がそう英語で答えると彼は笑みを浮かべ、ベンチの隣に座るように合図してきた。僧侶に従ってベンチに腰掛ける。僕のパーソナルスペースは狭めなので少し距離を置いた。いやパーソナルスペース云々というよりこの僧侶、ヤニ臭いのである。
「日本のどこから来たの?」
僧侶はとてもゆっくりとした丁寧な英語で聞いてくる。
小田原です、と言おうとしたがカンボジアで小田原が通じるはずもない。なんせ僕は鹿児島の人に出身を聞かれて「横浜」と出身地詐称をする人間である。
ここは横浜と言うべきか思い切って小田原と言うべきか悩んでいたら、連れが「東京」と答えてしまった。いや東京は遠すぎるわ。さすがの出身地詐称犯の僕でも東京とは答えない。ただ、その連れが住んでいるのは川崎市であるため、まあ許容範囲の詐称である。ただ東京都よりも静岡県の方が近い小田原出身の僕としてはいただけない回答である。「ニア―トウキョウ」と補足をしておいた。
ふーん、という顔をした僧侶は続けて質問をした。
「仕事は何してる?」
「学生です」
またも、ふーんという興味のなさそうな表情を浮かべ、また質問をしてくる。
「カンボジアは何日の滞在?」
「6日間」
いや、職務質問かよ。就職活動の面接でも質問の回答から話を広げてくれるが、立て続けに質問をしてくる。さてはコイツ、モテないな。女性の話しを広げられない男はモテないのだ。まあ僧侶にとってみれば「モテ」など人生において無価値なのだろうが。それゆえにか分からぬが話下手である。
僕も質問に答えてばかりでは気まずくなってきたため、「6日なんだけど、今日が最終日だ」的なことを付け加えた。
彼はまた興味のない顔をしている。
「カンボジア以外に他の国には行くの?」
「そのまま日本に帰る」
クアラルンプールを経由しているから、マレーシアと言おうとしたが何だかもう面倒くさくなってしまった。
僅かな沈黙が僕たちの間を流れる。
僕はベンチで堂林翔太のうちわをあおいでいると、僧侶はそれを貸せと手を差し出してきた。手渡したうちわに描かれた文字を読んでいる。
「DOU…DOH……」
うちわに書かれた「DOHBAYASHI」を読めないみたいだ。堂林なんて人、堂林翔太以外に僕だって知らないから国籍問わず無理もない。
「ヒズネームイズ堂林」
名前を教えて差し上げた。
「Oh! Dohbayashi」
僧侶は誰やねん、みたいな顔をしている。
「ヒーイズザ、モーストフェイマスベースボールプレイヤーインジャパン」
それは絶対に大谷翔平だよな…と思いつつ、野球人気のないカンボジアでは堂林が日本で一番有名な選手であることを信じてもらえると思ってつい言ってしまったのだ。
いや、堂林の8月の月間打率はセ・リーグで1位だ。セ・リーグは「セ界」なんていう言い方もできるのだから、最後の「インジャパン」を「インザワールド」にしておけばよかったと後悔している。
またも、へーみたいな興味のない顔で堂林のうちわで風をあおいでいる。
「イケメンでしょ!!」
堂林への反応の薄さに僕は黙っていられなかった。彼は仏教をあつく信仰しているのだろうが、僕には堂林という厚い信仰がある。「永遠の推し」というキャッチコピーが応援タオルに記載されている堂林翔太。ブッタが永遠に推されているのと同じでしょうよ。
しかし、僕の逆布教活動は敵わず。僧侶は僕にうちわを返し、「タバコは吸うか?」と聞いてきた。
「ノー」
吸わねえし、堂林への反応をもっとしろやと不満を抱えてしまったが、野球人気のない国家である。まあ無理もない。彼にこれから堂林ファンになってもらうことも、彼をカープファンにさせて「カープ僧侶」という流行語を流行らせることができなかった僕は、堂林のうちわをあおぎ、彼が連れとタバコを交換しているところをうつろに眺めていた。
僧侶はマッチで火をつけて、連れからもらったタバコに火を灯して勢いよく吸引した。
「This is ベリーライト」
そう言って微笑んでいる。
堂林の紹介をしたときとは打って変わってすこぶる明るい表情になっている。彼はタバコを吸い終わると、10秒に1度くらいの頻度でむせこんでいた。確実にヘビースモーカーである。やめておいた方がいいだろ、身体にも悪いし仏教的にもそれはどうなんだ。
僕としてはそろそろこの山を後にし、市街へ戻ってマッサージを受けたかったから適当なことを言って僧侶に別れを告げた。
「ちょっと、ここに名前を書いてくれないか」
別れの前にサイン会である。人にサインを求められるなんて、教育実習の最終日以来のことである。
僧侶はノートをベンチに置き、僕は彼から差し出された安っぽいボールペンを右手に取ってそこに名前を書いた。漢字で書いたら右に英語も書けと言われたから、その指示を従う。
「ナス、ナトゥ、ナツ…」
堂林と同様、彼はいまいち読めていない。
「ナツキね」
「Oh Natsuki」
連れもそこに名前を書いていた。まあ記念か何かなのだろう。ここに住所、生年月日、電話番号を書けと言われれば個人情報を売られるのではないかと思うが書かされたのは名前だけだ。僧侶がデスノートを持っているとも考えにくいし、僕たちは何も疑わずに名前を書いたのであった。
「アリガトウ」
ぶっきらぼうな日本語を話すカンボジア人はどこか愛嬌を感じる。
しかしその愛嬌はどこへいったのやら、彼は流暢な英語で話出した。僧侶が話した内容としてはこうだ。
ぬ!?!?
そう来たか。僕だって冷たい飲み物を飲ませてほしいわ。こんな暑いのだから。まあこれも思い出だ。1ドルくらい彼にあげてもいいだろう。
そして僕らは1ドル彼に差し出すと、彼は続けて口を開く。
「日本の小銭がほしい」
外貨は確かに欲しくなる気持ちも分かるし、別に50円くらいまでなら追加であげてもよかったが、生憎日本円は持ち歩いていなかった。
アイムソーリーと謝罪をし、最後に写真を撮ってもらった。彼と握手を交わし、今度こそ別れを告げ早足でその山頂を下った。
日本円の代わりと言ってはなんだけれど、堂林のうちわがほしいと言ったら喜んであげたのになあ。カンボジアにカープファンをつくりたかった。
なお、あのうちわは定価400円だ。いくら円安でも1ドルは400円にはならないよ、僧侶。
まあ逆布教活動をしたらしっかり布教活動をされしてまいました。これにて、世界三代宗教の前に堂林翔太完全敗北。またいつか異国で布教活動を行いたい。
「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!